白みかん

白みかんは、おいしいみかん。みかんを剥くのがうまいよ。

25歳と最後の…

今週のお題「告白します」

 



お題が「告白します」。

実は、人生の中で告白したことがない。
これは「愛の告白」でも「罪の告白」でも同様である。

まずは、罪の告白について書いてみよう。

昔から卑怯な人間だった。
自分の能力や性格のことを70%くらいは環境のせいにしたいところでもあり
実際、いろいろな観点から見ても環境の影響は少なくないとも思うのだが
俺の人生に影響を与える、いわゆるイベントは俺が小学生になったあたりから起き始めたものである。
つまりは小学生に上がるまでは比較的に俺の人生はうまくいっていて、いわゆる普通に、幸福な道筋を歩いていた。

そしてその時点で、すでに自分は卑怯である記憶があるし
どこか自分の世界に浸りがちである記憶があった。

喧嘩にかかってきた下級生が昇り棒から落ちても、謝らない。
0点を取っても、見せない。
任侠ドラマみたいな虐めを、止めない。
虐められても、反抗しない。
自分からは、積極的に参加しない。
嫌ならことからは、できるだけ逃げる。

とりあえず、謝りたくない。
非は自分はない、と思い込みたいのだ。
だって、それは自分ができないから悪いのだ。
俺の意思が、悪意を持って働いたからそうなったということは一度もない。
俺は悪意を持って他人や周囲に影響を与えたことはなかった。
その時点での、よかれ、あるいは普通なる振る舞いが結果的に悪いことを起こしてしまうことが、あった。

罪の告白とは、その名の通り、悪いことをしたら謝るということ。
「ごめんなさい」。

当たり前の言葉だと聞くけれど、「ごめんなさい」を俺は人生の中であんまり聞いたことがなかった気がする。
それこそ、大学生のころまで。

幼少期の自分は粘土のようなものだ。
形が定まらなくて、いろいろなものに影響を受ける。
こねてこねて…形は作られていく。
その中で、決していいことは起きなかった。

この自分の性を変える何かが、起きなかった。

「ごめんね」と謝るには、顔が引きつって、どういう表情をしていいのか、分からない。
俺が悪い、もう大体俺が悪い。
会社の人たちが効率悪いのも、何だったら俺が悪い。
天下りの人が当たり前みたいに訳の分からない活動をしてから回ってるのも俺が悪い。

記憶の中には、もうどうしようもない罪があって
でもそれって、誰にどうやって、告白すればいいのか、分からなかった。
罪の告白って身勝手じゃないかって、思って…。
できることは、これ以上人に迷惑をかけないでおこう…って大人しくするくらいしか思いつかないのだった。

話題が重重い罪の告白で、なんだか目が疲れたところで、恋の告白の話である。
俺は恋の告白をしたことがなかった。

恋愛には教科書がないし、義務教育がない。
その辺り、この国の教育というのは進化しないなと思う。
本当は、家庭の中で学べるものだったのだろうか、それとも友人、知人から学ぶべきものだったのだろうか…?
俺には、今回も分からなかった。

幼稚園の頃の俺には、なんだかよく分からないが、ファンがいた。
前にどこかの記事にも書いたサヤカちゃんである。
今の自分は、全く関係のない人であるため、逆に今どうなっているのか気になるくらいだ。
サヤカちゃんは何と幼稚園の段階で幼いころに告白したらしく、たまに遊んでいた。
対して、俺はサヤカちゃんに無反応だった。
俺は坂の下に住んでいたミクちゃんが好きだったからだ。
とはいえ、その「好き」もよく分からなかった。

何が原因でサヤカちゃんに惚れられたのか
何が原因でミクちゃんに惚れたのか…?

母は教えてくれない。
父は…帰ってこない。
もしかしたら、兄弟がいれば教えてもらえたのか。

俺は結局、ミクちゃんに告白することはなかった。
その前にミクちゃんにきざなことを言い続ける少年Hが現れたからだ。
その男は「お前が世界で一番好きだぜ」と幼稚園ながらに言い放った。
残念ながら、たぶん、俺はミクちゃんのことが、世界で一番好きではなかったのだ。

小学校で遊んでいたTとTのうち、Tのほうを好きになった。
…いや、これではややこしい。
好きになったほうの子をユリナちゃん、という。

この辺り記憶が混乱していてよく分からないのだが
俺はその頃小学生らしく鬼ごっこ、ケイドロ、サッカーなどをしていて遊んでいた記憶と
自分がリーダーになって主催していた「戦いごっこ」(喧嘩)と
そのユリナちゃん、そしてその友達と3人で遊んでいた記憶が
ごちゃごちゃになっている。

とにかく、3人で遊んだ。
2人とも女の子だったので、昼休みとはいえ俺は教室にいた。
昼休みに教室にいる生徒は珍しかった。
よく3人だけのごっこ遊びをした。

ミクちゃんとは正直、そこまで話していた印象はないが
この3人でいるときは、どうでもいい会話をしたのだと思う。
その中で、俺はなぜか片方だけに恋愛感情を持ってしまった。

告白はしなかったのだったが…。
そもそも告白してどうなるのだという気分でもあった。

その子とはクラスが2年一緒だったが、その次の学年では別々になり
塾の日がバラバラだったため、学校外で遊ぶこともなくなった。
再会したのは、すでに落ち目に入っていた小学5年ごろだった。
俺は、彼女に鍵を手渡した。

「ありがとう」

彼女はそう言って鍵を手に取った。
そして、それ以外は何も言ってくれなかった。

それからは、自分の感情というのはよく分からなかった。
ブログを書いていると「分からなかった」とやたらと出てくる。
思った以上に自分は、自分のことが分からないらしい。
確かに実際、俺がなぜ今文章を書いているのか、なぜ都会に出てきているのか
なぜ、何万円もかけて、単なる後輩や友人に会いに行けるのか
全部、感覚的にやっていることであって、今でさえその明確なプロセスを解き明かせないのだ。
そのヒントが、文章の中にあるのかもしれない。
だから自動記述で書き続けるのだ。
イッツオートマティック。
オートマティスム…それは違うか。

一瞬だけ好きになったり、顔も知らないのに好きになったり
…が、ややあって。

青春時代、まっさかり!という高校時代にはなんと、俺は好きにならなかった。
小学校から地区ごと進学する中学校ではそれなりに女生徒の知り合いもいたが
高校では結構離れた場所を選んでしまったので女生徒の知り合いがいなかったのだ。
ということ、俺は新たに知り合いを作ることはなかった。

しかしながら、周りは恋愛に興じている、らしい。
…らしいというのは、やっぱり俺には恋愛の実態が分からないからである。
月曜日のドラマとか、コメディとか、昼ドラとかを見る。

「好きだ!」
「私もよ!」
ジャジャーン

「うお~」と俺は言う。

分からない。

一体彼らが何を目的にしているのか、さっぱり分からない。
生理的に重要なシーンは大体省略されている健全なものが多く
省略せずに芸術的に、ナチュラルに描写しているシーンは、俺には伝わらなかった。

学校の廊下で、男子生徒と本を持って歩いているときに
階段の脇で長身の男と、その肩くらいまでの身長の女生徒が話していた。
女生徒は泣いているようだった。

何をしているのか、喧嘩か?
そう思ったのだが、あれは今思えば痴情がもつれただけだろう。

小学校で俺を糾弾した女生徒が、慎ましい態度でクラスの男子に寄り添っていた。

あれ、君、そんな人だったっけ?
俺をゴミのように扱ったあの人はどこへ…?

やはり、ハテナマークを浮かべながら俺は学校に通い、そして卒業した。
恋の告白を、されることもなく、することもなかった。
そして目撃することも、うわささえ、なかったのだった。

よくこんなにこのテーマで書けるな…。

それからも俺は、今に至るまで告白をしたことがない。
正確には交際しようと宣言するのは過去すべてにおいて俺が担当した。
だがそれは爆破のための最後のスイッチを押すようなもので、本来告白にあるべき緊張感などはなかったのである。

別に緊張感がなくてもいいではないか、とも思う。
25歳の自分は、もう恋愛などと言っている年でもないのだろう。
とはいえ、この状態をなんとか復帰させる方法があるのならば
それはやはり愛し、愛されをもう一度やるしかないのだとも客観的につげられている。

今、一人だけ連絡している人がいる。
今はいろいろなことで苦しんでいるようだった。
緊急事態宣言も新型コロナウイルスも人と人のつながりを断つ。
俺は会いに行ったりはできないけれど、もう少し仲良くできればいいなと思う。