首が痛かった。
もう痛くて痛くて溜まらない。
今寝転びながらこの文章を打っているのだが
寝込んでいるほうがいろいろとスピードが速いような気がする。
この理論を応用すると、俺は椅子に座るよりも、地面に足を置いているときよりも
何よりも設置面積が大きい寝転んでいるときのほうがPerformanceを発揮できるということになる。
パフォーマンスと入力すると勝手にローマ字に変換されてしまったが、それは俺が寝転んでいるせいではない。
おとといくらいから急激に、またしても首が痛くなった。
なんなんだろう、この世の中電車に乗っている人の3割くらいは…あるいはもっとたくさんの人々が
スマートフォンをのぞき込むために首をものすごい角度で傾けている。
それを意識している俺はその首の角度のトラップには日夜ひっかからないぞ!という強い意志を持って生きているのだが
ああもう、こんな痛さじゃやっていられないぜと、コンビニにヨーグルトを買いに行ったのだった。
痛い…とにかく首が痛い。
バクとした不安がやってきて、さらに首の痛さが加速する。
今にも叫びだしそうになるところをぐっとマスクの下でこらえて…、それでも声が漏れた。
「ああ…あ」
ぎょっとしたような顔でこちらを見る、納品書作成担当のO氏。
日本の母のような容貌であった。
痛い…ああ…痛い。
首をもんでみる、特に効果は見られなかった。
「大丈夫ったら、大丈夫?」
マックス・コールフィールドのようなかつてのOJTリーダーOKBが俺に話しかけてくれた。
「大丈夫ではないです」
「土曜日だったら整形外科とか開いてるかもしれないよ?」
土曜日は、俺は出勤だった。
帰宅するとおなかが空いていた。
脂肪をつけるなどとぬかしておいて結局、このざまである。
そもそも仕事中に飽食で滅びる人類のドキュメンタリーなどを見て、それでも平気で肉を食らうのならば俺はどうかしている。
およそ100分にわたる飽食についての映像を見ていて、ああやはり人類というのは…。
という気分になった。
そもそも、飢餓に苦しむ人がいる一方で
オンラインゲームやら、パソコンカチカチに興じる世界とは何なのだろう?
そりゃあ生まれた場所が違い、環境が違えば、それらを絶対評価することはできないかもしれない。
もしかしたら、貧困な国で生まれた貧困な世帯でも、裕福なだけの生きている人間よりは雄弁に気高く生きているかもしれない。
それでも持続可能な社会を目指して、今から頑張れ2020年を生きている物たちヨ…と
めちゃくちゃな昭和時代をタバコ吸いながら過ごした世代に言われると
今新型コロナウイルスで青春も思い出も何もかも塗りつぶされつつある世代は
憤慨するのではないだろうか。
俺は自分の部屋にあるロフトベッドを解体した。
一人だった。
静かだった。
ただそこにはこのロフトベッドを作ったあの日の思い出がある。
3人で作ったロフトベッド。
ランダム再生しているプレイリストから3人の思い出の曲が流れた。
俺は舞い散るほこりの中、くしゃみをした。