白みかん

白みかんは、おいしいみかん。みかんを剥くのがうまいよ。

第二新卒

 

新卒は分かる。
だが、第二新卒の存在についてはよく分からない。

自分はあまり就職活動に注力していたわけではなかった。
大学生を2分するのならば就職活動を意識していた人間と
意識していなかった人間というものに分けられる。

意識してる人間は1年生からインターンに言っていたりもするし
2年生、3年生から就職活動などをしていたりする。
就活のためにいろんな情報を集めている。

だが、意識していない学生も多い。
その代表例が俺なのだが4年生になったとたんに
焦りだし、大型の合同説明会に行って
ザ・就職活動という舞台に基礎知識から入っていくのだ。

その時点ではもちろん自分は「新卒」なわけなので
第二新卒」の存在はあまり耳に入ってこない。
新卒と話す際に第二新卒などという辞めた後の話をするのは
あんまり得策ではないのだろう。
だから俺は、この前まで第二新卒の話を聞いたことはなかった。

第二新卒とは、卒業後、一度就職したが
「数年のうち」に離職して就職活動をする「若手求職者」のことらしい。

もっともらしく書いているものの
この定義には曖昧な言葉が多い。

数年のうちとは具体的にどのくらいの期間を指すのか
若手求職者とはどこからどこまでが若手なのか。
そのあたりを問い詰めてみると、厳格な定義はないらしい。
要するに求人票によって幅があるということだった。

俺は社会人生活を約3年続けたのちに会社を辞めて
またしても何の下調べをせずに転職活動を始めた。
新卒の時から何も学んでいない。
また始めようと切り替わったタイミングで学び始めたのだ。

この前自分が受けた会社の第二新卒採用を見てみると
「2021年専攻は受付終了となりました」と書いていた。

そして詳細を確認してみると
第二新卒は、社会人経験が半年以上4年未満の方と書いていた。

なるほど、一般的なルートの22歳からすると
26歳…くらいまでが第二新卒になるようだ。

そうして今、第二新卒として入ってみると
俺は…またしても新卒のころと同じように研修を受けている。
それも新卒の時に受けた研修とは比較にならないほどの密度だった。

やることが多い…多いのだ。
前の会社ではある程度、自分が自由に動いていたのだなあと実感した。
同時に社会人としての力があんまりなっていないのだなと思った。

独学で学んだスキルを社会で生かすのは簡単なことではないらしい。
社会…というより会社か。
会社というのは会社の色がある。
集団に属するというのはそういうものなのだ。

そういう幸せの形

 

 

疲れた…。

もう疲れたのだ…。

繰り返される毎日。
狭い部屋。
パソコンに向かって自らの無力をなじられ続ける日々。

やすりで自分をこすり続けているような、感覚。
できない自分というやすりを何度も何度もこすりつける。

分からない。
できない。

模範解答ど~ん。
え~、そうだったの~?ウフフ。

分からないことは、つらい。
分からないことは、怖い。

人はいつしか挑戦しなくなるというが
俺はもうすでに挑戦などしたくはなくなっていた。

もう頑張りたくないと、頑張る前から思ってしまっている。
勉強をしている民はすごい。

勉強って、すごい。

勉強は、分からない、を埋めていくものだと思う。
人は誰だって、最初は何も分からない。
それを埋めていく作業に勉強と名前を付けるのだろうと思った。

素直にそれは「分からない自分」を逐一と刻み付けるものである。
そんなことを日中したあとに、また改めて勉強なんて始められるわけはない。
趣味はない。
だからって勉強をするわけじゃない。

何て俺は、中途半端なんだ…。

水が好き

今週のお題「好きなお茶」

 

 

 

生まれたころからか、俺の家にはおおよそお茶と呼べるものがなかった。

そもそも人がなぜお茶を飲むのかはあんまり分からない。
水に何かパックのようなものを浸してお茶にしているところを見たことがある。
だが、そのままでも飲めるものになぜ味をつけるというのだろうか。
俺にはあまり理解できなかった。

水が好きだった。
手元にあるペットボトルには
「カレーにはやっぱり水でしょ」というむねのコピーが書かれていた。
そうかもしれない。
水とは、おかずなのだ。
そして、時折それは主食にすら匹敵するくらいの力を持っているのだ。

リングフィットトレーナーに類するゲームは昔から存在した。
その改組ともいえるような謎の棒を持ってステージをクリアするゲームを俺はしていたのだが
それをやると大量に汗をかくし、体力を消耗してしまう。

その時、飲む水というのは、まさに…
まさに主食にすらなるほどの、圧倒的な悦をもたらしてくれるのである。

だが、プールで口に入ってくる水を
体が受け付けないのはなぜだろうか。

夏の空気が潮流のごとく今、去ろうとしていた。
俺は水を飲んだ。

おいしくも、まずくもない。
それは水だった。

やる気でない

 

やる気が出ない。
フルリモートの研修ということで
何とか持ってはいるのだろうが
前評判ながら、俺の入社した会社の研修の密度は濃かった。

疲れた…もう疲れたのだ。
有能な人たちが集まっているのだろう
俺にはちょっともう着いていけないような時間が1日続く。
終わったころにはもう疲れ果てている。
もし、これが実地だったなら、もっと疲れていただろう。

そして、日常の勉強もしないといけない…。

やる気が出ない。

英語に資格の勉強。

こう文字にしてみると自分は
ずいぶん、人間らしくなっている気がする。
資格の勉強なんて何の役に立つんだろうかと思っていたが
結局、社会の中でそれはタグとして機能するらしい。

実力なんて関係なくて社会は合理化されていなくて
独特の既に築かれてた基盤の上に自分たちは立っており
そこにて評価されるようだった。

でも…その理屈が分っていたとしても分からないものを
分かるようになるというのは面倒だった。
それを無数に積み上げていった人たちが無数にいる中で
どうして自分はそんなこともできないのかと疑問に思う。

そして日曜日が終わっていくのだった。

社会人生活始まる

 


▽再び

無職を辞めた。
無職を辞めるとは、妙な言葉だが
とりあえず、収入がない期間が終わった。
とはいえ、仕事をしていなくてもしていても
前の社会人生活的には生きるのに感じる苦しさみたいな物は変わらなかった。

プレイべーとな時間が何か変わるなんてこともなく
ただただ、年齢を重ねていくばかりで趣味もない自分は
仕事があったほうがいいのではないだろうかとなんとなく思う。

▽やることが多い

以前勤めていた企業は中小企業だった。

定義上は従業員が300人を超えた時点で大企業と言うが
なんとなく一般人が感じる大企業はもっと大きい気がする。

とはいえ、一般人が何を感じるのかというのも難しい
BtoB企業は一般人の間では有名ではなく
存在そのものは就職活動になるまではよく分からないということもある。

そして、社会人として復帰する場所に選んだのは大企業だった。
規模としては前の会社の100倍以上である。

そうして入ってみると同じ月に入社した人の数だけで
前の会社の人数を上回るのだった。

やることも多かった。

ナンダコレ…。
合理的に、効率的に進めようとしてみるが
終わりの見えないほどの手続きと
データ収集のようなテスト。

半端じゃないオンラインの講義の数々。
本業とされている業務内容まで
いつになったらたどり着けるのか
皆目見当がつかない。

コロナは風

 

 


▽9月の始まり

8月が終わった。
ぼくのなつやすみ」でいうところの夏休み最終日を終えて
もしかしたら世間の小学生たちは
今日から学校に登校しているのかもしれない。

街に住んでいたは子供の遊ぶ姿もよく見られたけれど
今住んでいる町は、なんだか若者や外国人の姿が多く
そういう、何か季節の流れみたいな物は見えない。
車と横断歩道が、機械的にルーティンを繰りかえすばかりである。

▽コロナは風

大物芸能人Aが…
綾瀬はるかさんという俳優?女優?が
新型コロナウイルスに感染したニュースについて
「芸能人だから、病床がひっ迫しているのに入院できたんだろう!」
という意見らしきなんだかよく分からないものが流れていくものをみて
あるいは、数少ない会話相手が
「今、旅行とか行っている人とは距離を置きたくなる」
と言っているのを見て
新型コロナウイルスというのは
人間関係に対して大きな波風を立てなあと思う。

本来なかったはずのトラブルが
新型コロナウイルスへの対策意識というところで表面化して
さまざまなところでトラブルを起こしている。

恨むべき対象がウイルスと言う
よく分からないものであるので
目に見えないものを恨むことができない。

やる場がない怒りが、世間を舞っているのが分かった。

我々は役人に怒ればいいのか。
オリンピックに怒ればいいのか。

いったい何を撲滅して
何を守ればいいのだろうか。

▽始まる

9月になった。
いつもと同じような朝だが
今日から仕事が始まる。

社会人第2章の幕開けである。

無職の、夏休みの終わり

 

 



▽無職の期間
引っ越してからもう何日たったのだろうか分からない。
少なくともわかっていることは
自分が初めて引っ越した時よりは
何の感傷もなくて、ただ静かに自分を延命している感覚だけが
この手の中にあるということだけだった。

無職という立場のような立場らしくない何かは
すばらしく、自分の怠惰さのパラメーターを押し上げてくれた。

朝起きても何も特別になすべきことはないので
徐々に俺の生活は夜型に変わろうとしていた。
夜に起きていても特にいいことはないのだが
朝に起きたほうが街の明かりとともに自分が覚醒していく感覚があるのだが
どうしてか、人間は夜に妙な魅力を感じるものである。
いや、この時代、主語を大きくては
いろんな方面からの攻撃がいつ来るか分からない。

自分の中の人間的本能が、くらいにとどめて吉か。

俺の中の人間的な本能が、夜に妙な魅力を感じているのである。

こんな書き方をすると
まるで自分が夜の街に慣れている
新型コロナウイルス自粛を破りがちな人種的な感じになってしまうのだが
むしろ夜遊びの類はしたことがなくて
今時珍しいほどの健全すぎるくらいには健全な人間だという自負がある。

生まれてからずっと、一つの部屋に閉じ込めておくことはできないが
俺はそういう意味では、結構健全な精神の折の中で
生きてきたほうではないだろうかと思った。
環境が健全だからと言って、精神のほうまで健全とは限らないが…。

無職の1日は、短い。
いかに時間をつぶすか、ということを考えている間に
時間が勝手につぶれていたりもしなくはない。
以前、アマゾンでレンタルしたビデオを再度レンタルすることだってあるのだ。
そんな、無駄なことはないような気がする。
そんな名作でお気に入りならば購入するべきではないだろうか。

今日も日が昇っていたが、顔を見せている時間は
決して長くはないだろう。
無職はヴァンパイアに似ている。
嘘だ、似ていない。

▽夏休み
この無職期間には8月が丸ごと含まれていた。
俺は8月から働けるよ!と言ったが
企業側の受け入れ態勢も、恐らく大変で
俺の入社は9月になった。

そう、これは俺の夏休みだ。

社会保険を払い、住民税を払った。
結構、高かった。

無職にこんな出費を払わせるのはつらい。
役所は、ハローワークは俺に一円もくれなかった。
世の中、そんなに甘くないのである。
しかし、数十万もらえるか、もらえないかの境界がたった数日とはどういうことなのだろうか。

夏休みに入ったからと言って、俺は虫取り網を持って出かけるなどということは
全くする気にはなれなかった。
世の中のどれほどの人たちが、この夏休みを楽しめているというのだろうか。
学生はどうか。

俺の過ごしていた夏休みなど
今の学生に比べれば幸せなものである。
選択肢がある。
現在の世の中は、あれだけ多様性の重要さを主張しておいて
現実は、パラリンピックに学生を動員する癖に、修学旅行はカットするという
まるでお笑いのような理不尽を押し付けているのだ。

鬱屈した精神を練り上げるような存在は
もしかしたらこの世代から現れるのではないだろうかと思ったが
そもそも鬱屈した精神を持っているような人間は
学校行事など、初めから楽しみにしていないので
いくら行動を制限されようと困らないような気がした。
だとしたら、世の中の闇は、あんまり変わっていないのかもしれない。

▽とにかく無職の話しよう
無職はやることがない。
無職は、どのようにして生きているのだろうかと
無職のワークショップみたいなことがあれば行ってみたいと思った。
だが、ワークショップなんていうかしこまった場に行けば
出てくるのは自称、個人事業主みたいな訳の分からない意識高い系の連中に決まっている。

俺は意識高い系の連中が出てくるときには
決まって、トップな時期が問いあげられているだけで
やがて廃れていく存在だということを想像する。
そして彼らは意識高かった自分を恨むのだ。

…とはいえ、一度でも成功した人間が
一度も成功してない人間に劣るなどなかなかない話である。
無職は、なんとも言えない気持ちになった。

▽家を出たくない
今の時代、デリバリーのサービスが充実している。
インターネットスーパーは、大量の手数料がかかるものの
サービスとして成り立っている。
ネックとしては思うように食材が届かないところである。

自分でメニューを選択しているにもかかわらず
当日にその食材が切れてしまった場合には
その食材は届かない。
偶然が重なってしまった場合
その時、食べられる食材が
足りなくなってしまうことだってあるわけだ。

それでは死んでしまう。
無職が孤独死してしまう。

▽夏休みの終わり
8月はそんな感じで怠惰に過ごした。
この毎日に意味があるのかといえばなかった気がする。
俺は無駄にまた一つ年を取ってしまった。
しかもこれは20代の後半に入るというなんとも重大な一歩であった。
そう、これはまるで月に降り立った人間になったような気持ちだ。

20代は一番長いなんて言った人もいるが
長く感じるのはその時にさまざまな体験をした人だけである。

もう、終わった。
夏休み。

そして、始まる、社会人第2章が。
その先に待つのは漆黒の闇か、グレーか、それとも…。