白みかん

白みかんは、おいしいみかん。みかんを剥くのがうまいよ。

ああ、夏休み

 


8月に入ってから上司が離任した。
その離任は全く悪いことではなくて
むしろ派遣先の都合としては人数をとにかく減らしたいんだということだった。

あれ?じゃあ私は?

私に離任の命令は下らなかった。
う~ん…。

私は残留した。
しかし、人数を減らすのに値するほどにやることがない。
8月中に対応するのは2本…1本くらいだ。

さすがに強制力がなくて私の手は動かなかった。
自分のメインPCが帰ってきたことでまたやりたいことができるようになった。
マア…やりたいことが時間を食っているだけと言われれば大体そのとおりなのかもしれないが…。

応用技術者試験に合格していた

 

予定した面談の時間まで残り1時間20分。
私は2つのブログ記事を更新し、久しぶりに自分のブログ記事を眺めていた。
すると、基本情報技術者試験関連の記事がいくつか存在したのを見かけた。
私は基本情報技術者試験と応用情報技術者試験の両方に同じ年に合格した。
だが、応用情報技術者試験については記事にしていなかったようだ。
飽きてしまったのだろうか?

夏の初めに私は帽子をかぶって法要をした。
法要の場にいた従姉妹は今年大学生だった。
彼女はどうやら情報系の道に進んだらしい。

彼女は大学生らしく基本情報技術者試験の取得を目指していた。
私はしたり顔で「応用情報持ってます」と言った。

しかし私のこの資格がどこかで評価されたことは、社会的にはない。
このような会話の節々で「合格しました」ということはある。
どうやらこの資格はどや顔専門なのだろうか。

私は確かに基本情報と応用情報の2つを同じ年に突破した。
このように書くと何かすごいことのように感じられるが
事実としては基本情報にそれまでに2回落ちているのだ。

ドのつくほどの文系であり、勉学の才能もない私は
社会人1年目の夏に開催された基本情報を受験した。
私は勉強していったが午後問題には持っていたシャープペンシルを動かすこともできなかった。
できないときは、問題が何を言っているのかもよく分からない。
それを痛感したのだ。

そのような状態で基本情報合格まで変わったのは
何も勉強量を重ねたからではなく
そのころの私が実際にプログラムのコードを書くようになっていたというのが大きいだろう。

問題文に記載されていることの大体の意味も
なぜそのようなことがしたいのかも
実際にプログラムコードを記載する中で
なんとなくなじみが出てきたものだった。

別にそこまで余裕の合格というわけではなかったが
無事、基本情報自体は突破することができたのだ。

そうしたころ、私はすでに応用情報の勉強も始めていた。
誓って言うが私は勉強家ではない。
応用情報の勉強を始めたのは同期社員に勉強家がおり負けたくなかったからだ。
ライバル的な存在がいることはありがたいことだと思った。

そのころの私は会社を辞めて、ちょうど知り合いの会社の物置に住んでいた。
やることは勉強か、転職活動か、たまに遊ぶかの3択である。

私は問題の意図が理解できず、ブチギレて問題集を何度か壁に投げつけた。
こんなことをしている時点で私に情報系の才能はない。

とにかく私は教本とサイトを見つめ続けた。
午後問題は選択式なのだが、私が狙いを定めて挑戦したテーマの問題は
さっぱり分からなかったため、当日変更をすることに決めた。
こんな投げやりな戦い方は本来行うべきではないのだが、運も味方したようで私はそれを突破した。

合格発表を見て私は喜んだ。
喜んだがこの喜びを共有する相手もいなかったため
同じく以前自分の合格を発表してくれた人に送ってみた。
相変わらず薄味の対応が返ってきた。

誰にでも優しいのは誰にも優しくないことと同じだ
という
分かるようで分からない名言が私の中でこだました。

とにかく応用情報に合格した私は翌年データベースか何かの高度試験に挑んだが
あまりやる気を出し切れていなかったこともあってか普通に落ちた。

そうして別に資格なんていらないか…となり今に至る。
私の会社ではどんなすごい資格を持っていても基本的に評価にはつながらない。
学歴も資格も関係ないのだ。

ある意味、夢のある話だった。

10年前・現在・10年後

10年日記というものがある。
その名の通り10年分の日記を書いていくものだ。

私の持っている10年日記は少し厚いカバーのようなものに入っており、日記をつける際はそれを取り外して書く。
もち上げてカバーを外すそのひと手間が億劫であり、私はそこに10年の重みよりも紙束の重みを感じざるを得ない。

10年日記を購入したのは私が社会人1年目の夏だった。
住んでいた地域では一切の内定がもらえず、図らずも大都市・東京の一角に住むことになった私は、その頃、絶望していた。
絶望の理由はさまざまだった。
あるいは絶望の理由はシンプルだったとも言える。
とりあえずこの絶望からの再起の記録を私は残したいと思った。

当然ながら10年日記を私が毎日欠かさずつけられるわけがなかった。
日は飛び飛びで字は汚い。
見返しても何を書いているのか見当もつかない時期もある。
1日辺りに使えるスペースは4行であり、それは書きたい思いを書くには足りないが、1日重ねるには多い絶妙な量だった。

「今日は何もない、とてもすばらしい1日だった」

そう思える日があるはずもなく
私の10年日記は9年目を迎えようとしていた。

私のこの9年の人生は私に対した変化をもたらすことはなかった。
絶望は色素沈着を残して私の精神に残り続け、今も時折夢に見るほどだ。

新型コロナウイルスが世界中に流行した。
だが、私の生活はさほど変わらなかった。

転職して東京を離れた。
住んでいた町に会いたい人がいるはずだった。
けれど、愛も友情もすでにそこにはなかった。

英語を学び始めた。
しかし実際に英語話者と流ちょうに話せるほどにはいまだ至らない。

自動車を運転した。
事故を起こしてやはり自分には何やら運動能力に欠陥があるのだと再認識した。

私はこの9年で自信を持てる私になりたかったが
分かったのは自分の底と上限が常人よりも少し下であるということだけだった。

果たしてこれからの10年はどうだろうか。
10年たてば私も中年どころか、そろそろ壮年の域に入るだろう。
両親は健在だろうか。
両親が健在かどうかよりも後始末の心配のほうが先に立つ。

祖父祖母の時に私には何も任されなかった。
だから私は慶弔にとても不慣れだ。
残っている家はどうする?土地はどうする?
まあ別にやってやれないことはない。
ただその無知に付け込まれないかが、心配なだけだ。

自分の生活はどうだ?私に家庭はない。
今は、お金はある、仕事もある。
しかし、将来は見えない。

不安定な友人関係はどうだ?
私にはどこからが知り合いでどこまで友人か、もはや分からない。
おおよそ2人で気兼ねなく話せない彼らは友人ではないのではないか。

仕事はどうだ?私は転職組だ。
入社した時に「年の割にはキャリアは伸びていない」と思った人よりも私は年上だ。
だが、私の能力がこの会社で生きるのかは微妙だ。
私にはもっと合っている働き方もあるような気がする。
だがしかし、サラリーマンというのはしょせん企業に背負われているだけで自分自身でお金を作ることもできない弱さを抱えている者だ。
このまま私がいる限り、10年後も私はこのままだろう。

無為な毎日をどれだけ延長しても無為な10年になるだけだ。
それがこの10年、人よりも劣った私のままで得た結論なのだ。

10年後の私は今、燃えているだろうか?
10年前の私のように日々が過ぎ去るのが楽しくてしかたないかのように。

真夏のBBQ

 

学生時代のクラブに入っていた同期が集まった9人の男女だった。
9人の男女と言うとなんだか本当にキラキラした響きだが別にそこまでキラキラでもなく、だからといって陰気な集まりでもない。
昨今珍しくはないだろう未婚の人々だった。

来年の1月に1人だけは結婚するみたい。
そして1人は結婚の話が合ったけど無くなったみたい。
人生いろいろだなあ。

真夏のBBQは少し暑すぎる気がした。
通天閣の真正面の屋上で焼く肉は美味しかったけれど、別に室内で食べてもきっとおいしかっただろう。

その町の悪臭がそこまで好きではなかった。
社会人になって3年してこの町に戻ってきた。
そこから2年住んでいたけれどお世辞にも民度は高いとは言えなかった。

地上から数十メートル離れているからか
そこまで嫌な臭いは感じられない。

みんなは口々に話していた。
同期の男性はアイスタオルを首にかけて太陽に当たりながら
具材を網に載せて焼き上がれば底の暑いフライパンに投げ入れた。
焼けた具材がたまったところで女性陣に渡す。
男性と女性で自然に場所が分かれていた。

俺たちはそこまで仲良しの集団ではないけれど
少なくとも同じ空間から逃げ出したくなるほどの嫌悪は
抱いていないと信じたい。

しかし俺はどうだろうか。
真夏の太陽がすでに沈んだ帰り道。
それほど使われていない口の筋肉はやや硬直したままのように感じる。

「あれ?今日って自分…あんまり喋っていないのかもしれないな」

下半身のだるさが徐々に痛みに変わっていくのを感じた。
明日は月曜日だ。

けれど最近の労働量ならば休みときっと変わらないだろう。

 

31年目の苦難

 


31歳になった。
31というのは重い数字のように聞こえた。
30歳と言えば20代のはざまって感じだけれども。
30歳と言えばあれじゃないか。
もう足を踏み入れて、完全に足を踏み入れたって感じだ。

最近はもう怠惰だった。
別に金にならないことに精を出しているけれど、その行いが将来につながるのかといえばそうではない。
俺は努力を怠ったのかもしれない。
俺は努力したくなかったのかもしれない。

31年目の今は苦難が立て続けに起きた。
それは人生を変えるような大きな苦難ではなかった。

その日俺はPCをいつものように触っていた。
調子が良かった。
調子よく作業していた。
だが突然火花が散ったような音とともに、目の前に画面が真っ黒になった。
キーボードをたたいても反応のない目の前の画面は一切の光をともすことなく沈黙を保っていた。

金になること

 

 

 

先日、推奨されて栄養ドリンクを購入した。
購入する俺も俺だ。

血液検査を伴う薬ならともかく、
ドリンクなんてかで体に影響がやたらと出るわけがない。

その場で推奨を繰り返し繰り返しされるから購入したけれど
返ってから調べてみれば5倍くらいの価格をつけられて購入していた。
プラシーボ効果だって、そういうの。

思えば俺は何度も騙されてきた気がする。
何度も何度も。
でも俺はそれでも疑うことができない。

なぜ人をだましてまで金を稼ごうとするのか
理解ができないからだ。

別にそんなふうにいきなくてもよくないか?
と思ってしまえば
わざわざだますようなことをしなくてもよくないかと思ってしまえば
それに意味はないのだと。

最近世の中、金になるかならないか
みたいなことをずっと議論されているような気がする。

もちろん俺もお金は欲しい。
お金は可能性だ。
俺もできるのであれば
俺の意思を曲げて従事している活動の全てを辞めたい。
それが仮にお金があるのであれば可能になる。

俺の生活は
家賃、水道光熱費、食費を換算して約12万円あれば
生命活動を1か月維持できる。
いや、趣味を加えれば15万円程度か。

もっともその趣味というのも
基本的には生み出すタイプの趣味だ。
消費する人たちに比べると俺の出費は薄い。

いっそお金になることを自らやっていった方がいいのかもしれないが。
俺にはそんなこと、できないような気もする。
できるような気もする。

合法的にそれをする手法を考えたほうがいいのだろうか?

坊主、降臨

坊主になった。
正確には地肌が見えかねないほどの坊主なので区分としてはスキンヘッドに近い。
このような髪型になったのは幼稚園以来である。
元の長さに戻るには半年くらい必要と言われている。

男性の頭だとどれくらいになるか、というところだが
いったん毎日確認したいと思う。