白みかん

白みかんは、おいしいみかん。みかんを剥くのがうまいよ。

それはまるで…



自分だけが知っているものの魅力というものを誰しも求めているのではないだろうか。
よく言うのならば、隠れた名作というものがある。
映画であれ、漫画であれ、面白い、魅力あるものをじふゃ、限られたごく一部だけが知っているというのは本当に何とも言えない快感だ。
快感という表現があっているのかは分からないが…。

しかしながら、それが世間の目にさらされたり
ごく一部が知っていると自分が重い子など寝入るだけで
世間はとっくにその魅力に気付いていたり…
それはまるで、「そんなことも知らなかったの?」と
知らない誰かに言われているようで
非常に虚しい気分になった。
いや、虚しいのかこれは
複雑な…そうとにかく複雑な気分になったのだ…。

これで、複雑な気分になったのだ…。

引っ越し



訳の分からない間に引っ越ししてしまうと
やはりその後引っ越しの手続きが訳の分からないことになるので、やはり人は自分の力で物事を進めないといけないのだと俺は思った。

引っ越しの時期が近づいていた。
とはいえ、まだ特にどこにも連絡しておらずマンションの解約だけを申請している。
ネックとして、俺の頭上にいまだに存在し続ける巨大な建造物、ロフトベッドがある。

俺を処理しないとどうにもほかのことに手が回らない気がするのだ。
とにかく行動がしづらいのが、このベッドの特徴である。

とりあえず、俺はそれでも小物を処分していくことにした。
いつか、使うのかも…と思うものがたくさんあった。
人間は手に入れることに精いっぱいで、その後どうするかは具体的にイメージしないものなのだろうか。

容赦なく捨てるタイプとはいえ、出せども出せども、部屋が変わる様子はなかった。
ゴミなのか、生活用品なのか。
それはその者が現在担当している役割による気がする。
役目を果たしてふつうで、それ以上の価値がついてこないというのならば
それは替えられたとしてもしかたないことである。

解体して、捨てる。
しかしながら、このマンションのごみ置き場は非常に便利だった。
何でも処分してくれるすごいマンションである。

次にどこかに住むときも、できればこのように処分してほしいものだったが
たぶん、それは無理だろう。

緑色

「ふんわり桜の花」の写真

桜が散った。
桜を見に行ったのはもう2週間前のことで、気付けば街の桜並木はすべて緑色になっていた。
この街で見る最後の桜だったのだが、結局、俺はそれを網膜に焼き付けるのみでいいカメラを持っていてもその風景を切り取ることができなかった。

春というのは桜の季節で、ほんのりと温かくなってきたような空気をまとっているイメージだけれど
桜のシーズンは3月の後半から4月の前半と短く、しかもその時期は、手放しで温かいとは言えなかった。

今日の空は曇り空だった。

ダイア建設」という看板だけが覗く10階の窓。
さびたいびつな鉄パイプだけがベランダには置かれており、もう限界だと嘆いているようだった。
まだいける、と俺は返した。
鉄パイプは押し黙った。
彼の正式名称を俺はまだ知らなかった。

 

 

ブログが更新される時

「ゲーミング環境が整ったeスポーツ施設内」の写真

暇だ暇だなんて言っていても、ブログを更新するなんて行為をしている人間があまり多いようには思えない。
実際のところは、あまり分からないのだが。

昔は検索すると個人のブログなんてものがたくさん出てきたものだが、現代はアフィリエイト系のブログが強くなりすぎたのか
企業の案件化、それを意識したようなものばかりが表示される。
つまらなかった。

俺が見たいのはもっと個人の分のわかない感情を無理やり文字に押し込めて見切り発車でインターネットの海に流しだしたような、環境を汚さない廃棄物の弾丸だった。
モノブログなんて言うのはアクセス数が極端に低く、特にそれを改善するためのSEO?や、ブログランキングへの登録も行っていないので
いまだにアクセス数は1桁を保っているのである。

もしかしたら、歴代のブログをずっと続けていれば違うのかもしれないが、媒体を乗り換えたくなる俺には無理な話だった。
しかしブログが更新されるときというのは、何が起きているのだろうか。

俺のブログ更新欲は突然やってくる。
特に朝暇だったりとか、中途半端に時間があるときとか。
ついこの間まではちょっと勉強の時間を取りたいなと思っていたので、夜だか昼だかには勉強をしていたのだが
それも終わってしまって新年度になって、またフリーな時間になってしまったのである。

そして日常で考えたことを誰にも話さずに、生活を繰り返し繰り返し
繰り返し繰り返し行っているとどんどんと話たいことが自分の中で押しつぶされて
謎の感情という、最早文字ではない何者かに変貌してしまう。
なんだかそれをためっぱなしにしているのは自分の体に悪いような気がして
そうした時に飽和したものを処分するためにブログを更新するのだった。

幸いにもタイピングは遅くない。
画面を見ないで打っているときはさらに速くなる。
見てないので誤字には甘くなっているのだが、まあそれは個人のブログなので許される範囲だろうか。
タイピングに関する仕事をしたのは幸か不幸か
タイピングなんてものは結局のところ肉体を酷使したものなので工事現場の人たちと変わらない気がする。
別に工事現場の人たちを批判するつもりはないのだが、いえば工事現場の人たちよりも体力もつかないのに
指先という局所的な鍛錬ではあまりに生かせるところが少ないのである。

そして、仕事で経験を積んだ自分より、全く違う仕事をしているはずの人のほうが速かったりして
この世は絶望的だと悲観する気分にもなる。
…とはいえ、文章に詰まることはなく、むしろ自分の文書が考えるスピードにタイピングが追いついてきたというのは悪くないことだった。

まあ、オチを考えてからそれに向かって文章を書くような、高潔なものは生み出せないのだけれど。
今回の記事のようにね…。

愛が欲しい

「野毛ちかみち」の写真

「愛が欲しいです」。

携帯端末の会話アプリに表示された言葉からは、それを打っている相手がどんな表情をしているかまでは教えてくれない。
愛が欲しい…、のは、結構難しいことなんだろうか。

この世の中、無償の愛は確かにあると知った。
だが、同時にそれがずっと続くものではないことも知った。

人間はドラマみたいに切り取られた瞬間のなかで永遠には生きられない。
作られた物語の人物たちは、きっと人間ではないのだろう。
アニメーションたちが人間ではないように。

壁ドンはセクハラです。
俺様キャラは環境型セクハラです。

愛が欲しいというその人は、俺の目からはみんなに愛されているように見えた。
キャリアも明るく、きっと実力も相当なものなのだろう。
…と俺の目から見えている彼女の姿が、どれほど実像と一致しているのかは分からなかった。
愛が欲しいというのなら、きっと愛が欲しいのだろう。
恋じゃなくて愛なんだ…と俺は思った。

納豆パックを捨てたゴミ箱が臭う。
脱ぎ散らかしたジャージがこちらを見ている。
壁紙は中途半端に剥がれ、ずいぶんとボロボロになったものだと部屋を見渡した。

人の心が見えない。
新型コロナウイルスなど関係なく、俺と俺の知人たちが住んでいる場所は物理的に離れている。
でも、物理的な距離以前に人間には精神的な距離がある。
こんな世界で偶然ばったり会っちゃったなどということはほとんどなく
大概はある程度心の距離が近づいたからこそ約束して、物理的な距離を埋めるのである。

愛が欲しいって…何だ?
愛って何だろう?思わることか?

ストーカーから向けられる一方的な気持ちは…愛か?
それが友人から向けられる一方的な気持ちになったら愛か?
恋人になったらそれは確実に愛か?

「愛はどこにあると思う?」。

昔、理科の教員だか、国語の教員だかが、教室で突然そんな話をした。
思えば授業というのは60分のプレゼンテーションみたいなものだ、彼らはすごい。
とにかくなぜだか真剣な顔をした彼が問いかけて、いくつかの積極的な生徒(特に女子生徒)が多かった)が手を挙げた。
しかし、教員が思う解答にはいたらなかった。
俺はなんとなく答えが分かっていた。

「愛は、人と人との間にあるんだよ」。

それは週刊少年ジャンプで絶賛連載中の漫画で出てきた例え話と同じだった。
結局、その教員が本当に週刊少年ジャンプで絶賛連載中の漫画から引用したのか
それとも、その教員が人生を歩んできた中で見出した教訓なのかは分からなかったけれど
それもまた見出された愛の形であることは間違いなかった。

だとしたら、この一人の部屋の中でキーボードをひたすらにたたいている俺に
愛は手に入れられないのだろうか。

「それは世界の…愛?」。

少子化を憂う独身男性

「玄関に脱ぎっぱなしの子供の靴」の写真

25歳と言えば、十分体の機能は成熟しており、全くもって問題はない。
特別身体に障害はなく、問題があるとすれば、一人で生きているだけでもつらいような経済状況くらいである。

新型コロナウイルスで人々の繋がりが更に薄くなっていく。
この社会を突然憂いている自分を発見した。

うちの責任者はことあるごとに人々が溢れる街を訪問している。
なぜ、いちいち、足を運ぶのだろうか。

リモートと対面の違いは何か。
それは触れることと、触れないこと。
ビジネスにおいて触れないことはなのでメリットにもならないはずだと俺は思うのだが
なぜか、今でも彼らは対面であることを望んでいる。
そこに価値を見出すのは、既に古い価値観案丘、それともそこに人情とかいう謎の美徳があるのだろうか。

ふいにLINEアイコンに映る赤ん坊。
この前までカップルのプリクラのような訳の分からない主張をしていたものが
突然、ライフステージを上げるかのように、赤ん坊を主張する。

しかし、子供一人1000万円。
我々の世代で稼ぎうる何かを早々に背負うことは難しい…と考えるか
それとも今を生きている人は、なんとかなるさで乗り切るのか。

実際、やってやれないことはなかなかないように思う。
事実があって、それを補完する未来がある、そういう感じで進んできた結果
日本の制度みたいな訳の分からないものができている事実。

少子化だ。

いまだに愛を叫ぶ人間もいれば
傷つきつかれた人間や
そこに価値を見出さない人間もたくさんいる。

昔はベビーブームなんて時代があったというけれど
今と何が違うのだろうか。
もちろん数字でいろいろデータを示すこともできるのだろうけれど
それよりも、もっと世の中に流れる雰囲気みたいなものを…。

少子化なんて俺は憂いてもしかたないことは分かっているけれど
中年ばかりが目立つこの社会
中年を働かせないと本当に回らないのかと疑わしくなるこの社会は
構造的に間違っている気がする。

本当に必要なのか?
本当に必要なのか?

道を開くのは年配者の役目でも
その道を歩いていくのはきっと若い世代だと思う。

25歳の自分は、もうきっと若くない。
まだまだ若いなんて思っているのなら
もうご年配は引退して盆栽でもしておいてほしい。

働くことを否定しないけれど
過剰に働くことを美徳とするのはもうよすべきなのではないだろうか。

俺たちの価値観は誰によって決められているのか。
世の中の正義は誰が作っているのか。
誰かの意思でないのだとしたらもう、この世の中は、混沌の中にある。

先行き

 

成人式に行ったことはあるだろうか。
俺は20歳の時に行った。
なぜか、地元の友人と示し合わせていった。
地元の友人とはそれでまつながっていたということなのだろうか。

その時に、微妙なつながりだったけどとりあえず
同じ学校だったというだけで話した相手とか、居ないだろうか?

俺はその時の相手が「ブログ読んでね」と言っていたことをしつこく覚えていて、ずっと読んでいた。
別に記事の内容が好きだったわけではない。
というよりはほとんどが、自分にとってはあまり意味の分からないものだったので、読まないことも多かった。
しかしながら、生徒会長だったはずの彼がどうしてか、危機的な状況に追い込まれているのには興味深いところがあった。
大学に行けなくなり、今回、ついに大学を辞めるのだという。

先行きの見えない世の中になってしまった。
新型コロナウイルスがここまでの影響力を持つ前は、人生がうまくいっていた人も、大転落したということもあるのではないだろうか。
俺だって、再就職の心配をしたことなどほとんどなかったのだが、ここまで進んでも先行きというのは見えない。

そもそも俺の思う先行きとは、就職のことではない気がする。
理由を聞かれても特別なものはない。
ただもう、俺にはできない気がする…、というただそれだけである。
職場で持ち上げられて持ち上げられててもどうにも満たされない何かがある。

みんなはどんな未来を描いているのだろうか。
それとも、ただ今の延長を、等速直線運動で滑っていくだけなのだろうか。
その先に何を見る?何を感じる?

みんなは何がしたい?
俺は何がしたい?

自分自身を見つめてみる、そして答えは見つかりそうになかった。
自分でも自分を止められないことは多い。
自制できないのだ。

そんな原始人の俺に何ができるのだろうか。
槍を持って突撃すべきだろうか。

今、宇宙へ飛び出すロケットに槍を突き立ててみる。
そんな足を引っ張っても、きっとなにもいいことは起きやしないだろう。