白みかん

白みかんは、おいしいみかん。みかんを剥くのがうまいよ。

英語話者のバーゲンセール




最近本当に英語話者が多いような気がする。
英語が話せるというのはドラマなんかだと、なんかすごい人の象徴みたいな、すごいスキルの代表みたいに扱われることが多いけれど
最近の俺の周りにはやたらと英語ができる人がいて、もうなんか、すごい、どうなってんだって感じだ。

俺だけなんか、義務教育を受けてなかったんか?みたいな…。
でも大学生活のほとんどを勉強にあてなかった俺にとってはそれはしかたないことなのかもしれない。
あの4年間をちゃんと勉強に当てておけば確かに
今よりはまともに英語が話せたかもしれないのに…。

アクネスカーピコ1回目

 

見た目に関して悩むようになってから数年経過する。
悩みというのは生まれなければ、ほっといてもいいものであることもある。
ほっといたら数年後に大きな損失はあるかもしれない。
だが、悩む、ということは今の自分にとってはいいことである。
それは課題解決のための必要な苦しみなのだ。

 

2024年2月三連休1回目。
知り合いの地下アイドルの卒業が近かった。
のと、知り合いに貸した傘を回収するため、東京へと旅立つことにした。
その実、傘のことは頭の中になかった。

朝起きてパソコンを眺めた。
何をしていたのかはいまいち思い出せない。

新幹線の駅は意外にも人通りが少ない。

聞いている限りだと知り合いのその子は東京への域道もついてきてくれるそうだ。新幹線は退屈であるため、それは非常にうれしいことだった。
今まさにこれを書いているのは新幹線の帰り道なのだが、異常に長く感じられる。

新幹線は「当駅始発」の表示を見落としていたため、無駄に歩かせてしまった。東京・大阪との往復を始めて3年目の反省だった。

道中も俺は何かをぺらぺらと話していた。俺は聞き上手になりたいのだが、なぜだか自分でぺらぺらと話している、気づけば。おじさんの始まりである。

東京についてしばらくして、地下アイドルのライブ会場についた。

受付でバーコードを見せた後、受付の人が何かを言った。

「お目当ては?」

お目当て?
意味があまりつかめなかったため俺はその日本語を聞き取ることができなかった。
つまり、複数グループが出演しているのでどのグループを目当てに見に来たのかというのを聞かれているらしかった。

そんなことを聞かれるんだ、というのは新鮮な体験だった。

その後、移動する。

今回の旅は移動が多いが、同行者が気軽に話してくれるので俺も気が楽だった。願わくば彼女も同じ気持であったことを祈る。ストレスをかけていなければいいが…。

次に降り立ったのが埼玉である。
俺は会社の同期の賃貸で面にテープをひたすら貼り付けていた。
会社の同期の仲間たちが集まる場所でなんだかよく分からない状態でいた。同伴者はその実くらいらしいのだが、見かけ上はコミュニケーション達者なので俺よりは溶け込んでいた。

友達が集まるイベントを月に1度実施しているのだという。ああ、楽しそうだ。俺は何をするのにも1人だ。俺の行動についてこさせるには少しばかり大変だ。

最後に俺は豆を食べた。豆を年齢分とまではいかないが、相当量口に含んだため、水分が足りなかった。

同伴者とはここで別れた。
彼女とようやくちょっと会話できる仲になったものの、東京に出ていくらしい。さらばだ。

その後、神奈川の奥地にたどり着いた俺はなんやかんやでモールの会談で時間をつぶしていた。ただの奥地じゃねえぞ。ド奥地だ。

寒かった。

聞けば、その前の夜、恩のある人に子供が生まれた。命が生まれた。

命の誕生を聞きつつ、その日の俺は眠った。

次に日、品川駅近くの地元密着型焼肉をあとにして再び新幹線に乗っている。

昼間に祖母が亡くなった。

2/11の話だ。

これで俺はすべての祖母祖父を亡くしたことになる。去年と今年で立て続けに2人だ。

祖母は俺が高校受験のときからすでに原型をとどめておらず生命活動を続けている状態だった。その魂はやっと解放されたのだ。

命は紡がれ、やがて消える。
それが正常なサイクルである。

それを俺は破っているに等しかった。
どうしても、どうしても心の中で自分自身を許せず、自分自身の思い出に浸っている。

京都につく。

隣でやたらと席をする乗客がいる。
ごみを持ちながら歩く老人がいる。
俺の指定した座席の隣は幸いにも空いていた。
マスクもしないで咳を続けるのはやめてくれ。

心に影が落ちる。

俺はどうしようもない孤独を感じる。
きっと俺よりも孤独な人もいる。
それでも俺も俺の世界しか見えず、その世界はどうしもなく終わっている。

仲間とは何か、友達とは何か。
愛とは何か。

センシティブな問題です。

 

 

月に一度話す機会を設けてもらっている。
自分にとってそれはカウンセリングのようであり、学生時代の延長のようでもあった。
しばらく携帯は何の通知もない。

会話の中でしばしば、この会話が自分の想像であり、自分は何もない画面に向かって話しているのではないと心配になる、と冗談めいて自分は言う。
しかしそれがどれくらい冗談めいているのかは正直なところ謎である。
母親の血筋は統合失調症を患いやすい。
祖母は存命だが、統合失調症で暴れるまでに至る過程を俺はともにご飯を食べながらずっと見ていた。
祖母は徐々に幻を見るようになり、彼女いわく「虫」がいるのだという。
そして妖精が見えるようになったころ、彼女は「神」になった。

幻を見る人間は決して漫画の中だけで出てくるわけじゃない。
目の前で人間が幻想を見るようになる過程をじっくり見て数年前に生きる気力を亡くした自分は果たして正気なのだろうか、
と疑うばかりである。

どうしたって、何も見えない。

センシティブな問題だった。

どうも、昔から口が滑りやすい。
もっとも重要な情報は口にしなかったが
結構、話されていない情報を話してしまった。

う~ん、これってあるある?
口をふさいだ方が、いいですか?

It's hard to improve my English skill

Yesterday, I took a lesson from a man who was responsible for my first lesson at current English school.
It's challenging to take a reservation with him due to his popularity.
However, I managed to secure a spot finally

We discuss about a lot of topics for the first time in three month.
I feel that my English is not improved compared with last time.

I have a chat with AI in English everyday.
I've started listening an English podcast.
I'm doing my best.

However it's hard to improve my English skill.
It's long journey and dauting.

After the lesson, I talked with my friends.
I suggested that we have a time for talking in English from next time.
Fortunately they approved it.

I should create opportunies to speak English more.
I want to catch up her as soon as I can.
This is my desire.

「知らんけど」に対して思うこと

 

 

 

大阪人ならば言う「知らんけど」。
俺はあまり使わない。

「知らんけど」は予防線でしかも後からの予防線だ。
使わないというよりは使いたくないの方が正しい。

油断すると口をついてしまうような気がする。
自分にもっと責任を持っておきたい。
ただでさえ醜悪な自分の性根をこれ以上言葉の上でも汚したくないという気分が走る。

「知らんけど」。

知る、努力をしよう。
知って、少しでもその人のために立てばいい。
そう思うのだった。