白みかん

白みかんは、おいしいみかん。みかんを剥くのがうまいよ。

○○を作りたい

 

 

 

目標を持たないことはつまらないことだろうか。
それはつまらないことだろう。

小学校、中学校、高校の俺はまさにそういう人物だったように思う。
何も感じない、何も考えないでいた。
両親が離婚し、祖父は亡くなり祖母は精神病になった。

考えたくないというのが一番にある。
自分で工夫を凝らしたもののそれが母親に否定され
学校に否定された。

手伝いをすれば、手伝いなどしなくていいという。
挨拶をすれば、馬鹿にされる。

「いい」と教育してくれたことを実践したのに、なぜ肯定されないのか。
なぜ「いい」というものの価値観はここまで異なるのか。

俺は考えたくなかった。
甘い汁を吸いたい。
考えなくてもいいので。

目標を持たない生活は怠惰だったように思う。
小学校の時代の俺は、早く学校から帰ってドラマの再放送を見ながら
お菓子を食べるのが好きだったし
高校の頃は明日の朝ご飯を食べるのが楽しみで早く眠った。

受験勉強も定員割れだったので、成果があったのかなかったのか
分からなかった。

そこには何もない。

周りが何とかしてくれるでしょう
ということを、弱く実感していた。

事実として俺は中学生になったし
義務教育を終えてもほとんど生活は変わらなかった。
変わったのは投稿時間と自分の体くらいで
俺の意思は、変わらなかった。

大学生活が俺の人生に大きく影響したのはいうまでもない。
人生初めての活動、体験、人、コミュニケーションがそこにある。
モチベーションというのは大事である。

何が合って、何が合わないのか。
それを見つけるのが人生なのかもしれない。
そのために足があり、そのために手先はある。

だからこそ、モノトリアムと言われる期間に
人はもっと行動すべきなのだと思う。
俺は最後にそれを見つけたけれど
それを見つけるには俺の精神は未熟で、遅すぎた。

ただし絶望的な展開の中にも1つ残されたものがある。
それは自分が残した轍である。
自分が通ってきた点と点のつながりが自分の意欲を浮き彫りにした。

何もない自分だったが、自分の中に意欲らしきものがあるというふうに短い4年間の中で思えるようになった。
まだ目の前は見えないが、轍の方向から次に見えるものもあるだろう。

○○が作りたい。

そういう意思が生まれる。

俺はクリエイティブな仕事はすごいと思う。
世の中受注して作られるものはあるが
そうじゃなくて、自分の意思で形づ蔵れていくものを俺はすごいと思う。

それがほかの人の役に立つならばそれは一層すごいと思う。

今の俺の頭には作りたいものがあった。
だが、この手は、この脳は、それをなす方法を知らないでいた。