白みかん

白みかんは、おいしいみかん。みかんを剥くのがうまいよ。

好きなもの

 




好きなものを見つける
ということがモノトリアム時代に実施するべき最大の課題ではないだろうか。

2022年6月25日土曜日。
社会人歴は5年。
されとて、実務経験は2か月。
ほとんどその辺のニート同然の俺は、悟りを一つ開いた。
新型コロナウイルスという世界的な脅威によって世界は変化を強いられた。
新型コロナウイルスの蔓延前から、俺は自粛を始めていたが
世界が俺に追いついたと思ったら、そのすぐあとに世界は俺を置き去りにしていった。

在宅勤務が1年ほど続いている。
家に引きこもっていても会社と契約を交わして
給料をもらているという状態は学生時代においても想像していなかった。
抵抗はない。
ただ俺はあるべきものをあるべきままに受け入れるのみ。

そうして在宅で、一人の時間が続いていると
なんかつまらないことをいろいろ考えている。
その考えに考えた結果、俺は一つの悟りを開いた。

好きなものがない。

ずっと昔から好きなものがない。

幼いころ、父親、母親は俺をいろいろなところに連れて行っていた気がする。
ガリバー王国、田舎の川、タケノコ狩り…。
習い事だってたくさんした気がする。
そうした中で一つ記憶に残っているのは動物園の記憶だ。
子供には甘い父親だった気がするが
俺が何にも興味がない、何を見たいといわれても反応しないところを見ると
いらだった声色で何に興味があるんだと問い詰めた。
俺は「オオカミ」と無理やり答えた。

実際のところ、オオカミにも興味はない。
何にも昔から興味はない。
いや、子供が興味を持ちやすい特撮なんかには普通に興味を示していた。
だがスポーツやら景色やらアトラクションやらには興味がわかない。
つまり、別に精神的にどこかおかしいわけではないのだろう。
だが、好きなものがなかった。

別に好きで興味がないわけではない。
父は俺にいら立ったが、俺だって興味を持ちたいのだ。
興味を持ちたいのだ。
だが、何にも惹かれなかった。

魚釣りも興味がない。
ビリヤード、ダーツにも興味がない。
カラオケにもボーリングにも興味がない。
テニスにもバドミントンにも興味がない。
野球もサッカーも興味がない。
空手も柔道も興味がない。
ゲームにも、ボードゲームにも…。

惹かれなかった。
我を忘れるほどの何かが俺の人生でまだ見つかっていない。

それは就職の場所でも重要視されているように思う。
ストレスの解消方法は?
そんなもので趣味を聞かれる。
でも俺の中に趣味はない。
好きなものはないのだ。

好きなものは仕事にもなる。
車好きな友人は中古車販売の副業を始めた。
その更に友人は海外の時計を輸入して大儲けしているという。
好きは偉大である。
好きこそものの上手なれという。

別に何のためにではない己の欲求のために動く
というのはこの世界で一番美しい動き方ではないだろうか。
それを見つけるためにモノトリアムという何物にも縛られなくていい期間に
いろいろなものを見て、いろいろなものを感じて
それを見つけるのである。

だが…。
この人生、それを見つけられなかった。