白みかん

白みかんは、おいしいみかん。みかんを剥くのがうまいよ。

映画「本心」 喜ばないわけではない終わり方

 

最近、一人で映画館に行けるようになってきた。
映画館と言えばかつての自分にとっては非常にハードルが高いものだった。
時代の流れでパソコンで予約し、あとはスマホを入り口でかざすだけでは入れるようになった。

目的とは関係のない予告編は少し遅れて入れば見なくてもいいことを知った。
あの時間が苦手だった。

NO Kicking.

今回見たのは映画「本心」。
前評判は知らなかったが、たまたま宿泊した近くにあるTOHOシネマズ日本橋で朝から上映していた映画だ。
結論、朝の空いた時間を活用する目的としては「よかった」と思った。

非常に退屈などというわけでなく「この先どうなってしまうのだろう」というふうに先を予見し、「そういうふうになるんだ」と納得する。映画の端々から自分の人生はどうだったのだろうと振り返る。

ついついスマートフォンやパソコン端末に目を奪われる昨今、120分近い時間を1つの作品に使うことができるのは自分の心を覗くうえでも非常に重要なことのように思えた。

視聴後にインターネットの海に転がる感想でも見ればいいかと思っていたのだが、俺にはあまり見つけることができなかった。ならば自分で書いて満足することにしよう。

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「自由死」と呼ばれる制度が作中にあることが開始30分くらいで分かる。病気の方や高齢の方が自ら死を選ぶ制度だという。それにより税制上の優遇が受けられる。自分の母親がその制度を選んでいて、なんかよく分からないが死んでしまう。川で流されてしまっても、それは自由死の範囲内なのだろうか?
主人公は母親が亡くなる前にしようとしていた「大切な話」と「自由死を選んだ理由」を追求するためなのか、はたまた自らの不安からなのかAI技術を用いて母親のVF(バーチャルフィギュア)を作成するのだった。

この作品を見終わった後に感じたのは、何やら散らばった欠片のような描写が頭の中に残り「結局、最後のところにどのようにつながったのか」というところに繋がらなかったということだ。

作品内のすべての描写には意味があるという。

視聴者側にとっては一瞬でも、そこには最低でも構想・台本・撮影・編集という複数人がかかわる複数のステップがある。1分1秒たりとも無駄な描写をしている余裕はないはずなのだ。だが、今回の作品だとこのシーンは結局、どういう意味を帯びているのか、世界観の説明に過ぎないだけなのか、それであれば不要なのではないか、というものが多かった。これは、映像化にあたってのノイズなのだろうか。

生前の母が「雨が降っている」と予感したのはなんだったのか。
主人公のあこがれていた同級生とは何者だったのか。
同級生と同居人が一緒の人というのは何だったのか。
闇バイトで起こした事件とは何だったのか。
友人がしきりに中国に誘ってきたのは何だったのか。
VF作成者の娘は何だったのか。
英雄化したのは何だったのか。
なぜ同居人は目をつけられたのか。

複数の伏線めいたものが存在する一方で
伏線なしに唐突に出てくるものもある。

金持ちデザイナーが主人公の蛮行に目をつけて
彼を雇い入れるシーンは都合がいい世の中であるように思う。
かと思えばデザイナーは同居人を好きになったので自分に協力しろという。
俺にはこの金持ちデザイナーがどのように設計された人物なのか、よく分からなかった。

都合がいいのであれば、都合がいい人物なりに、主人公の本心を引き出すためにあのような訳のわからない駆け引きを持ち出したのかと思っていた。しかし、描写的には金持ちデザイナーは本気で同居人に行為を抱き、こともあろうか主人公の口から告白させる。訳が分からないぜ。

同居人は過去の体験から他人に触れることができない。それは精神的なものだという。主人公がその拒絶を悲しむシーンはあったし、同居人が金持ちデザイナーの手を取った瞬間に反発を起こすシーンもあった。

それでも主人公は金持ちデザイナーの代わりに告白するし、同居人に対して「僕はあなたのことが好きではない」という。矛盾したような描写だった。人間の愛とは常に一貫性のある行動を導出するとは限らない。俺も訳の分からないことをしたと思い出したと同時に最後まで同居人の彼女を追わない主人公もかなりの愚か者であるように感じた。

同居人は金持ちデザイナーのところに行くといって、家を出て行ってしまう。主人公はVFの母と対話し、自分の中の一区切りを設けたようだ。

太陽に手をかざした主人公。この描写が冒頭にもあったような気がする。そしてその手に「触れる」同居人らしき手の描写でこの映画は幕を下ろす。

どうやら彼女は帰ってきたようだ、というのが見て取れる。震える手から恐らく彼女が身体的な抵抗を抑えながら精神的にそれを克服し、主人公に接しようとしているのが分かる。

なぜ彼女は帰ってきたのだろうか?

彼女が出て行ってから主人公は母のVFと決別のような会話をして確かに成長したのかもしれない。だが、彼女が帰ってくるにはあまりに主人公は何もしていない。

あと止められたガスは結局、使えるようになったのだろうか。

あらゆる何かが細切れのように並んでいき、最終的にはVFの母との決別と同居人とのこれからを示唆してこの物語は終わっていく。恐らくはハッピーエンドだ。

描写されるシーンの一つ一つには期待感もあり、苦境に立たされる登場人物…主に主人公とその同居人が再び手を取り合えたのだというならばそれをよろこばないわけにはいかない。だが物語としてみたときに「あれはどうだったのか、これはどうだったのか」とまるで「ワンダーエッグ・プライオリティ」を見ていた時のように欠けたものを感じた。

あとあまり意味もなく裸で出てきた。PVにでも使ったのだろうか。