白みかん

白みかんは、おいしいみかん。みかんを剥くのがうまいよ。

今週のお題「暑すぎる」

この前、海に行った。
都会の海ではない。
だからと言って、たぶん田舎の海でもない。

それは少し夕日がきれいということで有名らしかった。
今年の中で言えば一番予定らしい予定で、その日俺は電車に乗ろうと駅に向かっていた。

駅に向かっていた。
そして結論から言えば、俺は駅にたどり着けなかった。
向かっていた駅はどうやら全く違う駅のようだった。

暑い。暑すぎる。
海へ向かおうとする俺。
海へ向かうということで、少しは海らしく水色のシャツなんて着てみたりもしたのだけれど、あんまり着慣れない服だからか、落ち着かなかった。

暑い。建物のそばに、影に入りたい。

地球温暖化地球温暖化だと俺が小学生の頃はテレビが報道していた。
地球が温暖化するからエアコンとかはあんまり使わないでほしいとかなんとか。

メディアが報道していることが真実かどうかは、大体「あなた次第です」ということを知ってしまった現在、地球温暖化をあんまり聞かなくなった現在。
たまにアニメや漫画の中で「この世界は失敗したのだ」なんて悪役が言っているけれど、それはもう事実なんだと思う。

国とか権利とか、超お堅いものが出来上がってしまって、地球全体を1つの意思で動かすことなんてできそうにない。
何かがあるところにも必ずお金の動きがあって、それは福祉でも人の命でも、やっぱり上のほうではお金の動きがあって、もうこりゃどうしようもないなと思わされる。

そんなことを、いやなことを思い出す、暑さである。

気が付くと俺は、海の近くの駅にたどり着いていた。
海水浴場として割と有名なのかもしれない。
もうすっかり見慣れた外国人観光客が、浮き輪のようなものを持って走っていった。

さびれた駅だった。
駅員の姿はなく、あとから取り付けられたであろう最新の自動改札機だけが置かれていた。
日蔭と日向の境目に、これまたさびれたゴミ箱が置かれていた。

外国人の少女がアイスの棒を持っていた。
果たしてこれをどちらに入れるべきだろうと彼女は悩んでいる様子である。
実際のところ、ゴミ箱の分別口は2つあるだけで中身でつながっていたりする。
そんな世界の真実を俺が知ったのは20になってからだった。
だから、俺は指で左の入れ口を指し示したのだった。

暑い。
こう暑くては日焼けするものなのだろうけれど、せっかく購入したUVケアもできる傘を俺は使おうとしなかった。
風が強かったことと、重い荷物を持っていて肩が痛かったことが原因だ。
隣にいた女性に差し出してみるも、断れてしまった。

見える景色は青色の空と、背の低い建物ばかりだった。
もしかしたら、こういう夏休みを少年時代に過ごしたのかもしれない。
俺は背の低い建物よりもさらに低い自分の身体を動かして、大型のショッピングモールへと向かった。

暑い、暑すぎる。
そういえば2年くらい前から脇汗というものの存在に気が付いた。
ある日の仕事を終えた瞬間だった。
やはりリアルタイムで対応をする必要があるプレッシャーに対して、何か体が反応したのかもしれない。
俺の脇が妙に冷たい気がした。
どうやらそれは脇汗らしかった。
今までこんなものは出たことがなかった気がするのだけれど、ついにそのとき、腺が開いたのだろう。
自動車が行きかう交差点で俺が気付いたのはやはり脇の冷たさだった。

大型ショッピングモールになんとかたどり着いた俺は、ミニ小鉢に入ったうどんを食べた。
家でもさんざんうどんを食べているが、うどんは、うまい。
うどんうどん。

そうして、海にたどり着いた。
海である。
潮のにおいはあんまりしなかった。
人工的に作られた浜と聞いていた。
それと関係があるのかは分からないが、昔潮干りをしていたころに比べると海辺のにおいというものがほとんどしなかった。
味覚が死んでいるというのか。
新型コロナウイルスに感染しているというか。
においなんだから大丈夫か。

波が揺れている。
木片か何かを巻き込みながら。
波が運んできたのか、それとも人間が捨てていったのかは分からないが、海辺はゴミが散乱していた。

昔ある歌手が、歌手を引退して海辺のごみを拾っていた。
えらいねと声をかける人はいたが、手伝いはしなかったという。
それに、やってもやっても多勢に無勢だったという。

ごみを捨てる、そしてそれをそのまま放置するというのは、後ろ髪を引かれる思いのするものである。
これは育ちのせいか。俺の本来の性質のせいか。
いや、もっと関心のあることは、実際にゴミを放置して帰っている人々の心理であった。
もしかしたらインスタグラムで「ばえている」彼らこそが、実際にはゴミを放置しているのかもしれないし、もしかしたら、海辺でエアガンを打ちまくっていたあいつが、やはりゴミを散らかしているのかもしれない。
その時、そいつらはどんな顔をして、どんな思いでごみを捨てていっているのか。
現実は放置したごみが消えてくれるほど便利ではない。

たどり着いた場所は砂浜ではなかった。
意思が積み上げられてできた不思議な場所である。
風が強い。

ところで俺の頭髪は、依然として元気のないものだった。
本来ならば頭髪が元気ではない俺は、基本的に海やら何やら、自然の中で戯れることはできないのだが、今回は特別、海で戯れるとしよう。
俺は太陽に焼かれて、そして、赤くなった。
それもそれほどに赤くなることはなく、中途半端に赤くなったのだった。

波がきた。
太陽が落ちていく。
太陽が落ちていくと色が変わる。
色が変わるのは人間の目の構造上そう映るだけと知ったとき、人間はなんだか機械的な気がした。
割といっぱい人間がいるのに病気というまれなケースでしか、そこに違いが生まれないのは、すごい正確で、だからこそ機械みたいだと思った。
でも、ちょっとばかり哲学の本を読んでみると実際、俺が赤いと感じているものは他人にとっては赤くないのかもしれない。
色をどう感じているかなんて、他人には説明できない。
俺にとっての赤は、他人にとっての紫かもしれない。
とりあえず、夕日の色はきれいだった。
さすが夕日の有名なスポットだけある。