鏡を見た。
昔の自分は鏡などは見なかった。
ただひたすらに、生きることに必死だった。
必死だったのか、いや、ただ漫然と生きていたと言ってもいいのかもしれない。
生きることに必死だったと、ただ生きていただけは、昔の自分とって、ほぼ同義だったように思える。
今だって状況的にはあんまり変わらないかもしれない。
例えば、今自分は働いて、生活費のすべてを自分の収入から支払っているけれど、あるいは辞めていても、俺は必死に生きている。
仕事のない自分の人生を、仕事がないという世間的なプレッシャーを受けながら、それに耐えながら、やはり必死で、今と同じくらい必死で生きてるのだと思う。
さて、鏡を見た。
なんだか疲れている顔だった。
顔の表情を動かしてみると、口のほうがややくぼんだ。
なんだか、ほかの人にはないような筋肉の動かし方だった。
違和感がある。
こんなところがくぼむなんてちょっと気持ち悪い。
格好いいなと思うものはある。
自分が格好いいと思うのは、どっちかというとジャニーズ寄りの顔だと思う。
もちろん、アーノルドシュワルツネッガーに憧れがないわけじゃないけれど、でも自分を改造してあんなイメージに近づきたいかと言われれば「それは違う」としか答えられないのだ。
ジャニーズのことを同じく格好いいと思う人もいるけれど、ガリガリで殴ったら死にそうだ、と思う人もいる。
そもそもなぜ殴ろうとするのか、というところから疑問なのだけれど、気持ちは分かる。やっぱり人の美的感覚というのは、いろいろなのだろう。
だが、自分はやはり、そのどっちでもなかった。
顔がなんだか長いような気がした。
鏡を見る。
写真を見る。
なぜ、写真の彼はさわやか微笑み、俺は疑問の表情でそこにいるのだろうか。
彼は顔が小さいように見えた。
自分は…。
勝負は骨から決まっている。
女性は痩せて大変身なんて話もあるけれど、それだってやはり骨がいい骨してるから大変身が可能だと思う。
体脂肪はたぶんりょりもかなり低い状態にある自分は、大変身の可能性は薄い。
だから俺は大変身できた人を見たらこれからこう言いたいと思う。
「いい骨してるね」
と。