白みかん

白みかんは、おいしいみかん。みかんを剥くのがうまいよ。

大人大人大人ああ

今週のお題「大人になったなと感じるとき」

 

 

「じゃあ、君は何歳まで子供でいたい?」

プレイステーション2のソフト
ぼくのなつやすみ2」で診療所のお姉さんと、主人公の少年ボクくんとの会話の一節。

大人と子供とはいったい何なのか。
ドラマなんかでよく見かける「○○なんて、もっと大人だと思っていたよ」は
「大人」を主軸にしているが、この問いかけはそれと逆になっている。

「大人」とはいったい何なのか。
25歳になった今でも、それはよく分からない。

父親に「親」とは何なのかと聞いたことがある。
そうすると「尊敬される存在」と答えられた気がする。

きっと、答えは一つじゃない。
そして、見つけ出した答えも、変わらないとは限らない。

そういえば、腹違いの兄弟とやらと出会ったとき
彼はこんなことを言っていた。

「24歳だったら、もう大人やんな」

彼の見える常識と世界のなかで24歳という数字こそが大人の尺度である。
確かに日本は成人というものがあるけれど、20歳になったときのあの日の自分は
どれくらい大人だっただろうか。
むしろまだまだ、まだまだ、自意識が生まれたばかりだった。

大人になれない子供たちというのが2000年代からひそやかに議論されていた。
ニート」や「引きこもり」、「パラサイトシングル」「子供部屋おじさん」などと
その形態はさまざま形を取りながら2021年の今も、議論されていると思う。

そういう中で俺にとっての「大人」のイメージは、条件は、2つ。

●車を運転すること
●家庭を持つこと

別に車を久しく乗っていなくて、もう乗れないんじゃないか、なんて思っているからじゃない。
ひがみじゃない。
…いや、ひがみじゃない。

車を運転するということは、人の命を左右できるということである。
ボール遊びしている少年の未来を奪うかもしれない。
同席している友人の未来を奪うかもしれない。
それが車という交通手段である。

そう思えば思うほどに、俺は車を運転したいという欲が無くなり
18歳で免許を取得したというのに
それよりも、もっともっとあとに取得した同級生よりも
恐らく絶望的に運転に慣れていない。

自分の父親が、車が好きで何台も持っているから
車が好きで、いろいろなところに連れて行ってもらったから
だから、俺は大人のイメージが車につながっているのかもしれない。

…だというのに、なぜ俺は車に興味がないだろうか?
少し不思議である。

そして、「大人」とは守るべき自分の家庭があること。
いや、少し、家庭を「守るもの」と定義するのは古いかもしれないけれど
それは自分にとって、大事なものである。

自分以外の、自分にとって大切な他人を持つというのは、案外難しい。
できる人は自然にやっているのかもしれないが
自分の世界の外からやってきている他人と、お互いを大切に思いあうのは
その裏切りがいつ来るのかも分からないだけに恐怖である。

自分がどれだけ大切に思っていても
相手からすればそれは大したことないのかもしれない。

そんなうすら寒い疑心暗鬼を乗り越えた先にある
家庭は、実際のところ思ったよりも輝かしいものじゃないかもしれない。
もしかしたら、自分の家庭のように最悪の結果を迎えることもあるかもしれないけれど
そういう居場所を、子供にとっての居場所を、守ってあげたいと
そう強く思う動機を持つことが、「子供」を「大人」に変えていくのではないだろうか。

立派なビジネスなんてしてなくていい。
いつまでも格好よくなくていい。

おなかが出ていても、職場で情けない姿をさらしていても
家族と向き合い愛し合えているのなら
それこそが最高の大人なんじゃないだろうか。

そして、その反対側にも
最悪の大人が跋扈する。

それが日本。
それが社会。