白みかん

白みかんは、おいしいみかん。みかんを剥くのがうまいよ。

夢想家なのよ

 

 

一人でいる時にやることというと
もっぱら妄想することだった。

昔から現実よりも夢に生きているような気がしてならなかった。
それが小学4年生くらいの自分だった。

最近、目の端に映っている小さな体躯が小学4年生だということを認識すると
彼は現実に生きていて俺は現実に生きていないということがわかる。
しかしそれを認識しているのは自分自身だけで
恐らく親はそんなことは気にしていないような気がする。

いわゆる夢想家であった。

大学時代に知り合った朝日新聞社の男
ミスターシャケはこう言っていた。

「大人になってから妄想力が減った」

俺は同意せざるをえない。
確かに妄想の強かったその色が褪せてしまったように
俺に対する影響力が少なくなっている気がした。

それは自分の中の比率が現実に寄っていったことが理由なのかもしれない。
しかし、こんな何に進んでいくべきか分からない日々は
確実に夢想家の俺を呼び起こそうとしていた。

新型コロナウイルスで外出もできず
また知り合いと会うこともためらわれる毎日。
そして、仕事もなく、向かうべき当面の目標もない。

選考結果が来ない。

選考結果次第で俺の人生は大きく変わることになる。
もしかしたらブラックすぎて死ぬかもしれないし
もしかしたら納得できないような結果になるのかもしれない。

期待して裏切られるというのは
存外、女性でも男性でも、つらいものである。

自分や、この世界に変に期待するから
裏切られたときに死にたくなるほど怨嗟の感情が浮かんでくる。

今できることは、結果をただひたすらに待つということ。
待って待って、その先にある何かに祈りみたいな物をささげる。

そういうことをしていると
枝分かれした先の自分がふいに浮かんできて
ソファーに深く身を沈めていた。

暗い部屋で宙を眺める自分。
その時、網膜には映っていない映像を楽しんでいる。
楽しんでいる…?
楽しんでいるのかは分からないが
とりあえず俺は眺めていた。

たぶんこういう状態の時に人間の注意は散漫になっているのだろうと思う。
だから俺は運転などをすべきではない。
地面に書かれている線の行方なんかを気にして
信号を無視しそうになっている自分は
一体、この世界に対して何ができるんだろうと考えてしまう。

夢想家が生かせる何かはないだろうか。
多様性を生かそうとする社会になりつつあるんだろう。
となると自分を生かす方法もどこかにあると思うけれど
現状、何も、待つことしかできない自分できることはなかった。