家にいるとやる気が起きないというのはあるのかもしれない。
在宅ワークをしていると誘惑は多い。
それともそれは自分で切り替えができていないということなのかもしれない。
俺は現在、外出している。
18時からいつものごとく治療をする。
体質改善である。
いったい皮膚の中で何が起きているのか。
この治療を始める前と今で、どのように違うのかというのは分からない。
だが確実に狙いは達成されていると思うので今も通い続けている。
いや、そんなことはどうでもよかった。
問題は、課題は、外出したことで久しぶりにこの記録というかブログめいたものの
更新ができているということである。
家の中で扱っているパソコンのほうが明らかにキーボードも使い慣れていて
マルチディスプレイ対応もさせており、業務向きであるというのに
なんだか書こうとするとやる気が起きなくて、ずっと適当な更新が続いていた。
外出してこのミニパソコンを起動しているいま
それはなんだか緊張事態のようで手が動いてくれる。
少しだけ背筋も伸びる思いである。
俺のやる気が起きないのは
もしかして在宅のせいだろうか?
そのところ、あまり分からなかった。
結局のところ、やる気というのはあいまいなものである。
例えば俺が家庭を持っていて
守らないといけないものがあるのならば
仕事から逃げることもなかったのだろうか。
家庭は守るべきものであり
また、頼るべきものであるはずである。
そういう観点だと
俺は何も持っていない。
何も背負っていない。
何も背負っていないときの自分はまさに、怠惰だった。
布団から起きる、食べる、座る、降りる、寝る。
感じるすべてが自分を作っていくのだとして
今の自分はなんと空虚なことだろうか。
回ってない。
経験と血が。
何も変わらない。
何も変わらないままでまた一つ年齢を重ねようとしていた。