白みかん

白みかんは、おいしいみかん。みかんを剥くのがうまいよ。

緊張します!中編

 

 

 

時は戦国就職活動時代。

当時、俺は焦っていた。
その頃も、その頃運営していたブログに逃げるように
なにやら文章を書き連ねていた。
今更見返す気分にはなれないのだが
というかそもそも見られる幼な場所にそのブログがあるのかは分からないのだが
俺はとにかく就職活動に追い詰められていた。

今の俺ならわかるのだが
就職活動というのは、話せる内容があるほうが有利である。

例えばコンテストで優勝する
ワークショップを企画する
留学をする
語学をマスターする
ボランティアをする

というような、いわゆるもっともらしい経歴がある人間が
就職活動では有利である。
行動しない人間よりも行動した人間のほうが
圧倒的に有利であるため
自分が行動をすればするほど、周りとの差は勝手に離れていく。

…というところでいうと自分は薄っぺらい人間だった。
その当時は自分がすべきことを初めて見つけた気分になり
アルバイトよりも留学よりも、自分は優先させるべきものがあったという気がしていた。

それだけのために生きようとして
それだけのために生きた結果
みんなはそれについて消えくれた気がした。
ようやく俺は自分が生きているという実感を持つことができた。

…が、それが社会的な評価につながるかどうかは別である。
そして、それは社会的に評価はあんまりされないもののうちの一つだった。

緊張する。

自信がないときというのは
緊張のスパイラルに自分は陥る。

俺の初めての就職活動は合同説明会だった。
スーツに身を包んだ。
しかしながら髪のセットはされておらず
スーツは体に合っているとは言えないものだった。

そんな体で挑んだのは
名前も知らないパソナテックという企業だった。
その場に役員が来ていて
1.5次面接をその場で受けさせてくれるという。

チャレンジが大事なんだ!

おおよそ3年間の大学生活から
そうやってちょっとだけ意識高い系になった俺は
チャレンジの大事さを自分に訴えて
そのブースに足を踏み入れたのだった。

「自己PRをお願いします」

ん?自己PR?

当たり前のように発されたその自己PRという言葉に俺は混乱した。
俺はその日から就職活動を始めた身だった。
だから、そんなものをすることは想定されてもない。

緊張した。

「あわわ…わたくしは…」

そして、俺の頭は真っ白く染まっていった。

その後も俺はインターネットの海を漂流した。
何がしたいのかなんてものは
未来のその先の先にあったようなもので
俺にはそれを考える時間が足りなかったらしい。

自己分析・業界研究・なんたらかんたらだ!
とカフェにきていた知らないおじさんに言われ
俺は自己分析をするように努めたけれど
中にがないことが分かっただけで
自分の中から仕事に結びつくよう何かは得られなかった。

自分のしたいことが、社会的に需要のあることかは分からない。
自分の才能が、自分のしたいことと一致するかも分からない。
俺には登山の才能があるかもしれないが
登山には興味がないのでやったことがない。

発掘されていないギフトがあったとしても
俺はそれに気づかないだろうし
そして、そんなものは最初からないのかもしれなかった。

「御社…あっ、○○、っ、○○株式会社は…」

緊張した。

とにかく俺は面接の段階が一つ上がると緊張した。
そして、当たり障りのない言葉が宙に舞っては消えていった。
それは相手の質問に返しているというよりも
自分が家で書いてきたメモを空中に放り投げているという感覚に近かった。
そうやって緊張しすぎた俺の言葉が相手に届くことはなかった。

比較的、緊張しない2次面接まではなんとかなっても
最終面接という場で緊張して落ちてしまうことも多かった。

緊張は徐々に日常生活さえもむしばんでいき
俺は迷走を始めた。

もともとIT業界をメインに就職活動を始めていたのに
気づけばメモリアル(葬式)業界などというものを見ていた。
事業見学に行くことになり夏の暑い坂道を
スーツを着ながら何件も何件も走り回った。
そして、昔の暦を書くという謎の筆記試験で落ちた。

時には大企業の最終面接まで行くこともあったが
やはり緊張して落ちた。

大学のサークルを通して
少しくらいは成長したと思い込んでいたが
それは大学のサークルにおける自分で
自分自身ではないという乖離が生まれた。

恋人と別れた。

いよいよ迷走が本格的になってきた。
中学生時代の精神崩壊していたころの自分が
還ってくるようで恐ろしかった。

時には駐車場の管理というわけの分からない業界の面接を
取り繕ってもらい
ラインをしてくれと言われてラインをしたら
無視されてそのまま放置ということもされた。

ブラック企業の内定を自動的に渡され
内定を辞退した。
後日、その会社から
その会社の説明会を受けた人全員に
内定のメールが送られるというトラブルがあった。

社会から評価されない現実。
緊張している自分が悪いというよりも
やはり自分という人間がいかに劣っているかを
見せつけられているようで
日々、自分を責めるしかなかった。

あきらめの極致。

サークルに打ち込んだということは
学業には打ち込んでいないということだった。
俺は授業の数という代償を払うことになったし
後輩には厄介な人物として扱われるようになった。

リターンがすごかった。

一時は、この世界はすべて自分のものとさえ思いかけたものが
どんどん崩れていき
零落していく様はもはや笑いものにもならず
俺はもう、どこでもよかった。

後編へ続く。