白みかん

白みかんは、おいしいみかん。みかんを剥くのがうまいよ。

資格マウント

 

久しぶりの更新となった。

自分がブログを更新している時と言うのは
いわゆる「もう何もやることがなくて限界で、自分の感情がたまってし合った状態
かつそれを誰にも話せていないのでやばい」という時なので
基本的にブログが更新されないのは俺の人生やメンタルに撮っていいことである。
…たぶん。

いわゆるニート状態から脱して二週間ほどたつ。
俺は今会社のセミナーのようなものを受けており
週5日で8時間、講座を受けていた。
限界だ、もう限界だと思いながらも在宅環境だから
限界を感じて倒れられているので助かっていた。

そうして、俺は気づいた。
資格の結果発表の日だった。

明確にこの日を意識していたわけではないのだが
そろそろだろうなと思ってツイッターで資格名を検索すると
「受かりました」というツイートが大量に浮かび上がってきた。

「ああ~そうなんだ、結果発表の日なんだ…」。

俺は講座中だったが、もう気になって気になってしかたなかった。
講座自体も難しいのだから集中しないといけないのだが果が気になってしまう。
だが今確認して受かっていなければ今日は全くやる気が起きないだろう。
そんなリスクを背負ってまで結果を確認すべきなんだろうか…。

俺はパソコンを立ち上げて結果を紹介し始めた。
こんなもやもやを続けながら講座を受けているほうが体に悪い。
受験料が一体どこになるのか分からなかったが、ファイルの奥底に眠っているのを発見した。
受験したのはもうずいぶんと前のように感じる。
あの頃はまだ暑かった。

ホームページに飛んで番号を紹介する。
初めに上3桁を入力して、番号一覧にジャンプする。
その中に下4桁が並んでいるので自分の番号があるかを探すという寸法だ。

なぜだが、大学入試のことを思い出した。
あ~ヤダヤダ…。

思えば大学入試の結果発表もこんな感じだった。
コンピューターの前でいくつかの受験票を握り締めて
俺はキーボードで自分の番号を打ち込んで
そして灰色の画面で不合格と告げられたのだった。

大学入試の合格画面では「サクラ」が咲く。
不合格者の画面では何も咲かないのである。

…と、此度の俺は自分の番号をそこに…見つけた。
俺の目は迷いなく左下の画面へと流れていき、自分の番号をそこに見つけた。

「え?まじで?」

上3桁を間違えたのだろうかと何度も確認し
最後に成績紹介の画面をパスワードつきで確認した。
やはり、受かっていた。

「うお~」

俺は講座の音声をよそに拳を天高く…
天井高く…あげたのだった。

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別段IT系でもないのに応用情報技術者の資格が必要だったのかと問われれば別にそうでもない。
この資格自体は前の会社に入社した時に宣言した「基本情報技術者試験」の延長線にあるものである。
自分の同期にも取得者が一人おり、彼だけにいい顔をさせるのが悔しいから挑戦してみたのだった。
春の基本情報、秋の応用情報、自分は頑張ったのではないか…と思った。

だが、実際はどうなのだろう。

ITパスポートが「誰でも受かる資格」などと揶揄されてるように
資格マウントというものが存在する。
それは俺の世界にあるというよりはインターネットの実態が分からない何者かが
残している謎のメッセージである。

あるものは「応用情報なんて児戯ですね。」と書き残した。
わざわざ二文字でかっこつけて書いているのが鼻につく。

実際、理系分野に長けていてIT系で実務を重ねていれば
余りたいしたことではないのかもしれない。
自分が苦労したのは文系でIT業務もしていなかったからなのかもしれないが
だからといって資格マウントはどうなのだろうか。
そもそもそんなことに意味はあるのだろうか…。

いや、意味はある。
それは自分が気持ちよくなるために必要なのだから。

俺だってそうではないだろうか。
別に業務上必要でもないこの資格を取ったのは
所属している集団の誰かが持っていて
自分が持っていないという状態を許せなかったからだ。

俺がその資格に価値を見出しているか。
会社がその資格に価値を見出しているかといえばそうではなかった。

前の会社だと20万円の報奨金が出る資格だが
今の会社だとありふれた資格だからか、1円すら出ない。

もし響いてくるとしても昇進タイミングで診断の材料になるくらいである。
まあそういった少しずつの積み重ねが何かのトリガーになることもあるのだろうが
直接的に何かに結びつくことはなかった。

なぜ今ブログにこんなことを描き始めたのか。
ひとえにこの結果を俺はTwitterに投稿することもできなければ
誰かに自慢することもできないからである。

「受かりました~」とTwitterに投稿することに
一つ何か後ろ暗さを感じるというか…。
だから何…?
と自分の中で冷めた気持ちになってしまうのが分かっているからだろうか。
それともマウントをとられるのが嫌だから、自分が嫌になってしまうことを自らするなんてできないということだろうか…。

俺は夜になるころには、天井高くあげられた拳をおろしていた。
きっと夏ごろの俺は勉強していたのだろうと思う
今の俺にその記憶はほとんどないのだが、時間さえあれば過去問に挑戦したし
少しくらい投資したっていいと思って無駄に分厚い緑色の本を購入した。
あんまり読まなかった。

つまり、その資格を持っていない時の俺は
「その資格を持っている状態」に焦がれて仕方なかったが
いざ「その資格を持っている状態」になってみると「へえ~」になってしまうのである。

これはどうなのだろうか…。
そういう自分をもっと大事にしてあげたいとは思いつつ…
俺は俺を大事にする方法を見失っているようにも感じる。

だから俺は他人ともっとつながるべきなのだと思う。
自分のために。