白みかん

白みかんは、おいしいみかん。みかんを剥くのがうまいよ。

初恋が終わるとき

春の花と洋書の写真

 



時系列で言うと、自分自身にとっての恋愛じみた感情が起きたのは幼稚園の頃だった。
坂の下に住んでいたIさんは同じ幼稚園に通っていた。
そういえば小学校も同じだった気がする。
ここでいうところの初恋は染色体XXに対して染色体XYの俺が特に強い興味を持つという意味だったが
それは、それはあまりちゃんとしたものではなかった。
であるので、それを俺は初恋としてカウントしない。

次は小学校で3人の仲良しグループになった子たちがいた。
だが、俺はこれもカウントしない。
今の俺と地続きではないからだ。

そうして初恋は大学生の時に推移して起こる。

記事の中にはすでにこのことは書いていた気がするし
書いていない気もする。
このブログに書き留めることは俺の感情の起伏の
ある閾値を超えたもののであり、泡沫めいているため
管理という意味では全く管理されていない。

そうしてそれを初恋だとカウントしているとしたら
その初恋は2022年の終わりごろに、終わった。

それはもうあっけないほどにその炎が消えたのだった。
女性の中に「冷める」というものがあることは知っている。

「なんであんな好きやったんやろ」。

よく聞いたことがあるセリフであるし、
きっと俺自身も言わているセリフである。
恋は盲目。愛は呪い。

此度、俺の初恋はLINEで完結した。

人間は変わる。
初恋した時の俺と彼女とはもう全然違う人間なのだと
そのメッセージから理解した。

それは特に何気ないメッセージのやり取りだった。
だが、すし屋をめぐるメッセージのやり取りの中から
俺はわずかに残る炎にものすごい勢いで冷水を投げ込まれるのを感じた。

白い。
白い感情だけが残った。

彼女との思い出はあるが
そこには特に何も感じなかった。

「思い出してほしい」。

自分は昔、復縁めいたことを迫った時に
こんな言葉を口にしたことがある。
どうやら思い出に感情は伴わないようだ。

それとも感情をそぐ何かがこの「冷めた」と言われる何かには付与されているのだろうか。

「私は会いたい人とだけ会えばいいかなって」。

彼女は言った。
俺も同じ気持ちだった。

だからもう彼女と会うことはないかもしれない。