白みかん

白みかんは、おいしいみかん。みかんを剥くのがうまいよ。

病んでいる人

 

 

 


現代において「病む」という言葉は簡単に使われているような気がする。
Twitterでは明るく振るまっている人がむしろ「なんたら障害です」と、立派な経歴に混ぜて書くようになってもう久しい。
これが令和か…。

病んでいる人がいた。
彼は大学院2年生。確か、そのくらい。
彼はなぜか、病んでいた。

彼はなぜか、サークルのメンバーから批判ごうごうだという。
彼は何か確かにずれていた。
しかし、俺も、ずれていた。

でも、彼がずれていることは俺にはわかった。
ずれている世界から観測できるずれているは、正しいのだろうか。

ずれている彼を俺は止めることも、慰めることもできない。
かといって助言することもできない。

彼が求めているのはもっと需要と称賛という分かりやすいものかもしれないし
自己満足かもしれない。
かつての自分近いとは思いつつも、タイプが違い過ぎることが、彼を理解することができないことにつながる。
彼はなぜこんなことばかり続けるのだろうか。

彼から彼をくるしませる活動を取り払えば、彼は現代において魅力的な人間であるように思えた。
そんなことはないのだろうか。

彼の属性を砂の中から一つ一つ取り上げていくと
その一つ一つは俺にとって輝いて見えている。

だが、その特徴は彼自身の性質というよりも
どこか労働力じみて見えた。
だからだろうか。

だから…なことはないだろう。

俺はそういう意味では労働力にならない。
俺の力が実際、何に影響できるというのだろうか?

俺の方が病んでいる人だろうか。
病んでいる人は病んでいる人を見ると冷静になるのだろうか。
彼を見ていると、なんだか病んだツイートだったり、そういうものをやるにならなくなる。

俺はどうやら冷静になるタイプだったようだ。