白みかん

白みかんは、おいしいみかん。みかんを剥くのがうまいよ。

2020最後の…

 

新型コロナウイルスの感染者数が増加しメディアは警鐘を鳴らす。
メディア側にいったん入ってしまうと、もはや真実がどこにあるか分からないようになってしまう。
メディアの中には色がいろいろあって、交じり合って、今の今まで成り立ってきた。
だから汚職偏向報道も止めることができない。
そして、自分たちも何を信じて、何を信じないのか
結局は自分の気持ちひとつで判断するしかないのかもしれない。

2020年、決していい年ではなかったけれど
ここ数年、自分を苦しめていたものから、その苦しんでいる部分が腐り落ちた気がする。
欠けたことはいいことではないのかもしれないが、ずっと慢性的な痛みを抱えているよりは気持ちが楽になる気がする。

そんな年の暮れに、帰郷した。
去年毎月帰郷していたことに比べると今年の帰京回数は3回。
用や人間関係がだいぶ少なくなったことを表していた。
今回の用事も、ひとつ、またひとつと潰れた気がする。
今回のメインの用事は、後輩の一人が長らく住んでいた関西を離れるということで
最後で数名と万博公園に行こうというものだった。

前日に地元の駅で同級生と話した。
彼女は、なんだかんだあるようだけれど学生時代と変わらない笑顔で人間関係も悪くなさそうだった。
久しぶりに人と話して喜ばしい反面、どこか、もの悲しい気持ちになった。
話していて分かったのは、やはり自分の人間関係の大半は大学で得たものが多く
自分がその時代に光を見たからこそ、今の状況が痛いことであった。
大学に入る前の状況とほとんど変わらないはずなのに、どうしてこんなに毎日立ち止まりそうになるのだろうか。

その夜に、動画作成をしていた。
明日使うための素材をいじくりまわしてみるが、どうも限られた電池の中では
限界があるような気がした。
それに素材は一つ足りていなかった。
それぞれがそれぞれの忙しさを抱えており、昔から時間があるのは自分くらいらしい。
俺には人の気持ちが、今も昔もあんまり読めていない。
動画を待っていると時刻は23時くらいになった。
なんだか眠くて、俺は、やるべきことをやる前に眠ってしまった。
久しぶりの実家の、自分の部屋のようで自分の部屋じゃない場所だった。

朝起きる。
晴れていた。

マスクをつけずに庭を歩いてみると、すがすがしい気がした。
都会にある小さな部屋からでは聞こえない鳥のさえずりとか
近所の少年少女の声が聞こえてきた。
空気がおいしいとまでは言わないけれど、クラシックとかがなんとなく合うような雰囲気だった。

携帯で連絡を確認すると動画が届いていたので、必要な作業を終えておいた。
万博公園に行くのは2回目だった。
1回目の思い出は少し、嫌な思い出…というか
あんまり思い出したくないもので、万博記念公園駅にたどり着いたとき
その瞬間が脳をよぎったような気がした。

寒い。
日中の記憶がそれに終始する。
万博公園は寒かった。

スーパーで購入した寿司はおいしかった。
案外。
しかし寒かった。

全身に貼り付けたはずのカイロはあんまりに役立たずだった。
ああ…。

太陽の塔の中に入れるらしい。
22~25歳の男女が太陽の塔の中に入る。
エキスポシティや太陽の塔周辺は土曜日ということもあって
ファミリー層がたくさんいた。
子どもがたくさんいた。
子どもの姿は美しかった。

この世で一番価値のあるものは会社に雇われるシニア層なんかじゃなく
働き盛りのサラリーマンでもなく
きれいになり始めた人たちでもなく
愛されている子どもなんじゃないかと思った。

そんなことは考えずに太陽の塔の中身を登り続けた。
オーケストラみたいな音楽が流れていた。
この内部の施設は内臓だ、という胸の文章をどこかで見かけていた。
その名の通り、それらは内臓に見えた。
どことなく旧エヴァンゲリオン劇場版を思い出す、子どもの脳に原体験を与えそうな空間だった。
こういうところでデートをする恋人たちもいるのだろうか?
ふと後輩の一人を眺めていると、そんな気持ちになった。

改めて考えてみるとよく分からないメンバーが集まっていたけれど
今はただ誰とも会えない時間よりも、誰かがそばにいる時間を楽しもうと思えた。

塔の外は寒い。

引っ越す後輩は写真家を目指しているらしく
彼女の撮る写真はきれいだった。様になっていた。

それからしばらく、撮ったり撮られたりを繰り返した。
後輩の後輩が、手話で何かを伝えたけれど、なんだか俺は間違えたらしく
誤ったタイミングでプレゼントを与えてしまった。
ああ、また間違えたんだなぁと絶望的な気持ちになった。
能力のない人間というのは、こういうところでミスをする。
今は小さなミスかもしれないが、いつそれが重要なタイミングで起こるかなんて
分かったものじゃない。

とはいえ。
特別大きな問題はなく、そのプレゼント的なものは成功した。
その後は、やはり撮ったり、撮られたりを繰り返すのだった。
少しばかりその風景を眺めていた。

突き詰めて勉強をする人や
大学院を卒業して、目標の職業に就く人
独特の生き方を貫く人
着実に生きている人

その中で自分だけが何もないままに
惰性だけで今も生き続けていた…気がした。
特別、彼らのことを知っているわけじゃない。
だから彼らの内情を知ったうえで自分と比べているわけではないけれど
自分の世界から見た彼らは一人一人がとてもすばらしく、生きているように見えた。

遠くに飛んでいる凧だか、鳥だかを見つめていると
「元気がなく、色が青くなってきている」と指摘された。
そんな余計なことを考えていたからだろうか。
この瞬間が終わるのは、少し寂しい。
また、都会の中に戻って起きては働き、働いては自分に食事を作り
活動維持のために睡眠をとらないといけない。

「もともとそんなに口数の多い人間じゃない」
…と思う。
でも、サークル活動で司会をしていた自分が自分なのか。
学習支援をしていた自分が自分なのか。
人間関係に悩む自分が自分なのか。
それとも、いまだ抜け切れていないのか。

俺だって昔の能無しではないので、これが解散のムードだということくらいは分っていた。
日は落ちようとしていた。

案外予報よりも天気はよくて、遠くに雲の隙間から陽光が見えた。
悪くない日だった。
悪くない日だったからこそ…。

その後、うち2人が離脱して、3人が残った。
お好み焼きを食べた。
中身のない話をした。
室内はいい。

「少しだけやわらかくなった」
モノボケをしなかった」
と後輩は言った。
同期は、「そうかな?」と言った。

少しでも変わりたかった。
3年前の自分から。
それが周りから見えてくるころには
誰もが分かるようになるころには
きっと、もう少し、いい人になれていると思う。