今年ももうすぐ終わりである。
今年の俺はどうだっただろうか。
「やわらかくなります」などと言っておいて
結局、今年も自分自身を大きく変えることはできなかったのではないか。
東京3年目の2020年を振り返ってみたいと思う。
●2020年1月
この時期まだ2019年度ではあるので
会社の福利厚生的な組織のリーダーを勤めていた。
まだ英語のセミナーなどに通っていたころである。
ちなみに行くのが苦痛で全くの楽しみなどではなかったので、向いていない。
●2020年2月
会社の冬イベント、ビュッフェがあった。
地域の手話サークルの日と被っており、ビュッフェを途中抜けしてそちらに行こうと思っていたが
思ったよりも会社の同期との会話のほうが楽しかったので、行かなかった。
これがリーダーとしては最後のイベントだった。
●2020年3月
シリコンバレーでの海外研修があった…はずだったが
新型コロナウイルスがこのころあたりから危険視されだす。
よって、この俺にとっては大きな仕事がなくなる。
1回目でさえ、台風で消し去れてたのに、2回目はこれとはついていない。
まぁ、俺にはまだ早いということだろうか。
海外への搭乗手続きなんてやったことがあるかないかなんだから、1回こういう機会に見られたらよかったのだが。
サークルの後輩たちの卒業も、新型コロナウイルスのあおりを受けた。
俺はこのことを考えると、いいタイミングで卒業したと言えなくもない。
卒業には駆け付けたものの、全体的に後ろ暗い空気が俺の中にあり
その日の終わりにふと絶望的な気分になった。
というか長距離移動が面倒臭い。
本社勤務が終了した。
●2020年4月
リーダーも終了したことによって、一気に暇になった。
また、働く場所が映ったことによって業務内容をほぼ一からおぼえなおすことになった。
とにかく暇になった。
管理職の無能が露呈し始める。
なんか宣言とか出ていたような気もするが
あんまり関係なかった。
●2020年5月
職場に日報システムという謎のシステムが導入される。
このために2週間くらい本社に戻る。
また、同時に新たに配属された部署でも業務改善を行うことになる。
既に存在したエクセルマクロを頼りにVBAを学びつつ、改善にあたる。
プロが書いたコードはとても難しかった。
気付けば後輩たちが卒業した3月くらいから
人間と連絡を取っていないことに気づいた。
というか後輩たちってなんだ?
お前誰なんだ?何目線なんだ?
●2020年6月
会社と家を往復した。
●2020年7月
同期社員の家でトランプ、人狼などした。
●2020年8月
本社に再び異動した。
無能無能采配。
大学の頃の後輩と呑んだり家に泊まったりした。
久しぶりに話すという行為をしたので、緊張した。
楽しかった。
同級生とも話した。
楽しかったが、緊張のほうが強い気がした。
海に行った。
後輩のさらに後輩という者がいた。
緊張はしなかったが、日焼け止めが必要だと思った。
同じチームの人が退職した。
●2020年9月
Accessデータベースを勉強した。
結局、使わなかった。
会社の研修を受けた。
俺は頭がよくないと思った。
●2020年10月
健康診断を受けた。
採血の担当の人はトークスキルも必要らしい。
貯金残高が3万円になっていた。
●2020年11月
同期で飲み会をした。
免許更新をしたが、変な髪形だった。
北海道に旅行に行った。
車を運転しなかった。
●2020年12月
太陽の塔の中に入った。
かわいかった。
職場が忙しい状態になっているのに
1人だけ働き方がなんか違うので定時で帰っていた。
業務改善で削減された時間を考慮するとおつりがくるので許してほしい。
クリスマスにケンタッキーに行くと「ポテトならあるよ」と言われた。
同期とご飯に行ったり、先輩におごってもらったりした。
あれいいらしいよ、Kitiri。
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薄くなっていく人のつながりを去年よりも感じた1年だった。
新型コロナウイルスのあおりを受けて苦しんだ人がたくさんいた1年でもあるかもしれない。
仕事を失った人も、パートナーを失った人も、お金を失った人もいるだろう。
一方で楽をした人や金儲けをした人もいる。
だんだんと生きる意志が消えていくのを感じている。
来年こそは危ないかもしれない。
職場で承認をあれほど受けても何も感じないのは職場だからか
実態が伴っていないからか。
いずれにせよ令和は悪いことばかり起きる。
来年の俺にいいことがたくさん舞い込んでほしいと願わずにいられない。