白みかん

白みかんは、おいしいみかん。みかんを剥くのがうまいよ。

新型コロナウイルスがなかった世界と

お題「#この1年の変化

 



朝起きて、顔を洗って、食事をして
間に合えば(10回に1回くらい間に合わない)歯磨きをする。

最近は髪を整えて、整えたあとになぜか着替える。
しばらく自由時間を過ごしていると時刻は8時30分になる。

必要なものがそろっているはずの鞄を、中身も確認せずに拾い上げる。
扉を開けて、なぜだか呼吸がしやすいことに気づく。
そうだった、マスクを忘れていた。
マスクマスク…マスク装着…。


新型コロナウイルスが本格的に流行したのは去年の今くらいだっただろうか。
その頃、俺は海外への1週間滞在が決まり、初めてのシリコンバレーとラスベガスに心を躍らせていた。
「選ばれる側」というものはいつでも心地いいものである。
さあ、今年は多少心苦しくても楽しんでいこう…、と思っていた矢先だった。

そのウイルスはあっという間に世界に広がっていった…とメディアが伝えた。
真相はよく分からない。
そして、世界は、少なくとも自分の見ている世界は変わった。

「自粛」である。

本来、自分の意思で行うものであると思われるのだが
とりあえず去年は「自粛要請」というものがよくされた。
本人の意思があくまで試されるのだ。

ここで人の価値観が問われた。

新型コロナウイルスの流行を軽視するもの。
新型コロナウイルスの流行を警戒するもの。
新型コロナウイルスを警戒しつつも恐れないもの。
新型コロナウイルスを嘘だというもの。

教育機関クラスターを警戒した結果、学校生活を制限した。
社会はどうか。
満員電車はなくならなかったが、一部の会社ではリモートが活発になった。
だが、それはリモートができる業種に限り、溝をうんだだけだった。

人間たちはバラバラになった。

「自粛が終わったら~」
「コロナが終わったら~」

…と人は言う。
実際に、明確に定義された終わりなど来るのだろうか?

感染者数報道やテレビから受け取る情報に左右されて人は警戒し、踊り狂うのだった。

本来あるはずのなかった価値観の違いを浮き彫りにした新型コロナウイルスの流行。
本当に怖いのは新型コロナウイルス自体ではなく、人間性のほうだった…
なんてつまらないオチが人々の生活のそこかしこでついていく。

だって、本当に新型コロナウイルスなんて
実際のところ怖くもなんともないもの。

怖いなんて思っていたら、俺は今頃会社を辞めて引きこもっている。
それよりも飢えが怖く、孤独が恐ろしく、不謹慎を叫ぶ人々が恐ろしい。

オリンピックなんてもはや、どうでもいい。
不合理なものは解体して、住みやすい世の中にしようじゃないか。