延々と大人になったり、子供に戻ったりを繰り返している気がする。
いわゆる、「大人になれ」という言葉を聞くたびに、「我慢しろ」と言われているような気分になる。
実際に置き換えられる瞬間も多くあって、一時期それが自立することのように錯覚して、周りにも大人になる、ことを強いた。
不合理を我慢しろ、信念を曲げろ、それが大人になるということだ
…と社会は告げる。
「人助けは金にならない」
「福祉は金にならない」
さまざまな業種の方が集まる交流会で、このように聞いた。
金にならないとほとんどのことはその価値を失うらしい。
だから、そこに誰も踏み出さないらしい。
子供はどうして大人になるんだろうか?
大人の背中にあこがれて大人になるんだろうか。
大人の背中ってそんなにいいもんなのだろうか…。
両親は喧嘩し、母親にはしこたま叩かれた。
教師はいじめに関与してこなかった。
祖母は精神を病んで最終的に発狂した。
自分が成長過程においてであった大人たちはその辺のものだったし
そして今、社会に出ても尚…
50代などが見せる背中は、醜い。
20代を居残りさせて憂さ晴らしをする者
天下りをしてくだらないシステムを継続させる者
くだらないシステムを美徳化し、制裁を与える者
そしてたぶんそれが大多数だった。
この世は多数決だから。
既得された意思に自分たちはきっと敵わないだろう。