今週のお題「おうち時間2021」
たまに、ものすごい言葉を聞くことがある。
あまりんも衝撃を受けて俺の中の価値観のカーペットの端っこが裏がり、全体がずれる。
ちょっとだけ曲がったカーペットを戻そうとすると、逆に違うところがまたひん曲がったりして
めっちゃイライラしてしまうので、ついついそのカーペットを元に戻すことをあきらめてしまう。
「おうち時間2021」。
おうち時間も何もないんだ、部屋にいる時間に特別な意味を持たされると
その付随する価値をもたせてあげられていない自分が申し訳なく感じる。
「ごめんな…おうち…」。
新型コロナウイルスが流行し始めてから
引きこもりに市民権が流れきているような気がして
もはや、新型コロナウイルス自粛に対して協力的だから批判しているのか
もともと引きこもっていたからこれを好機とみなして批判しているのか
外出する人々への言葉の弾圧の模様を一人眺めていて不思議な気持ちになってくる。
それで…、それで見てしまった。
見てしまった言葉がこれであった。
「すごもり旅行」だった。
インスタグラムを眺めているとかつての大学の頃の同級生の投稿にくっついていたのだ。
この言葉は何とも衝撃的だった。
「すごもり」なのか「旅行」なのか?
「おうち時間」に飽きてしまったアグレッシブな人々は新しくラベリングされた概念を生み出したというのか。
戦争である。
新しい兵器を持ち出されてしまっては、元祖「おうち人間たち」に敵うとは思えない。
なぜなら、もともと、息をひそめていた人間たちなのだから。
「すごもり旅行」なるものの詳細をインスタグラムの投稿から解析しようとしたが
それは、普通の旅行に見えた。
超絶外出しているようだった。
一人旅というわけでもなく、友達と行く普通の旅行である。
「すごもり」…「すごもり」とは…?
大砲を持っていったら、その大砲を扱えずにもたもたしてしまって
奪われて打たれちゃったよ…みたいな敗北感が自分の中から湧き上がってきた。
訳が…分からない…。
ああ…。