白みかん

白みかんは、おいしいみかん。みかんを剥くのがうまいよ。

LINEと心の健康



先日、フォローフォロワーが7人いる自分のアカウントに
こんなツイートが流れてきた。

「LINEをしているほうが心の健康が保たれている」。

心のお医者さんが分析したのだろうか。
俺は元の記事を読むことなく、その記事をリツイートした。

Twitterは孤独で、LINEは孤独じゃないとか、そういう比較などする気はない。
だが、LINEが心の健康を保ってくれるというのは一理あると思う。

人はみんなつながっているのだという。

それは昭和のメロドラマをやっている時代から変わらない。
一応、歴史には大正とかいうのもあるらしいが、現代人にはまるで教科書の中の架空の世界の話である。

人に会えない。
人に会わない。

会っても、その場所では絶えず自粛の目がある。
心の呵責がある。

「お前、相手を危険にさらしてまで自分につき合わせたいのか?」
「これ以上、自己満足に他人を巻き込むなよ」

人に会わなくなった。
いや、元から会っていたわけじゃない。
この3年で俺の大切なものたちはことごとく消えていった。
しばし、人と会えていなかった。

そうして俺は、かつてLINE中毒だったのが嘘のように
LINEというものを開かなくなった。

…いや、それでもまめなほうではある…のかもしれない。

今、LINEのやり取りがあるのは、大学時代の友人一人
…といっても最近はあちらからくることがなくなりつつある。

大学のサークルの後輩たちの遊びに混ぜてもらっているものが一つ。

そして、大学のサークルの同期男性のグループが一つ。

以上であった。

確かにLINEが来ると荒んでいる自分の心が一瞬凪いだようになることもある。
個人、つまり自分自身に対してだけ投げかけられた言葉なんてものがあれば
とてもうれしくて、俺は小躍りするのだった。
たぶん小躍りというのは横に小さく揺れることだと思う。

コミュニケーションが欲しいのだ。
人が話しているのが聞きたいのだ。

結局、インターネットから放射されている莫大な情報なんてものは
ただそこに置かれているだけの情報で何の真実味もない記号の塊である。

感染者が何人だとか、仮想通貨の値段とか、情報の流出とか
芸能人のゴシップとか、オリンピックとか、どうでもいい。
本当どうでもいい。

そんなものよりも自分の知っている誰かの
しょーもない話のほうが何よりも面白いと思う。

そう灯りを消した部屋の中で思い
かつてその渦の中にいたころの自分を浮かべては
恨めしくてしかたないという気分になった。