白みかん

白みかんは、おいしいみかん。みかんを剥くのがうまいよ。

こりゃまた退屈だ

 

記憶に残らないのは、毎日の内容がほとんど同じものだからだと思う。
…ということを何度も書いてきた。

新型コロナウイルスは人々に自粛意識というものを植え付けた。
ウイルスやら最近やらは人類と共に今までも生まれては強制してきているのだから
なぜ今回はこんなにも世界的な対策を取っているのだろうかと
少し敏感すぎやしないかと思っているのだが
それは俺の勘違いなのか、若気の至りなのだろうか。

日本の死者数は少ないほうだという。
少子高齢化しているのだから、あまり人が亡くなっても困るかもしれないとも思うし
高齢者が亡くなるのは、そりゃあ病気でも自然の摂理ではないのだろうかとも思う。
なぜあそこまで死なせないように敏感になるのかも、俺の25年では分からなかった。

そうやって自粛してマスクしていると、こりゃまた退屈だなと思えてくる。
俺が新型コロナウイルス時代に(こんな呼称使いたくもない)入ってから得たものといえば
引きこもっている大義名分を得たことだけれども
俺は別に引きこもりたいから引きこもっているわけではなく
単に一緒に遊んでくれる人とか、行きたい場所とかがないから
家から動かないのである。
結果的な引きこもりである。

積極的な引きこもりではないのだ。

いや…よそうじゃないか。
結果的に引きこもっているのなら、そこに言葉はない。
人生は結局、過程がどうあろうと、結果がすべてよ。

「久しぶりに会いに行くね!」
「一緒に旅行に行こうよ!」

勇気をいくつか、ない勇気をいくつか
絞りに絞り出して取り付けた約束も
新型コロナウイルスの感染拡大によって自分の中に抑え込むことにした。

「自粛の壁」を超えるほどには、慣れ親しんでいない。

街中で恋人たちを見かける。
マスクをして、手をつないで歩いている。

彼らは自粛の壁を超えている。
超えて、そのうえで2人で歩いているのだ。

それを狂気とみるか、ほほえましいとみるか
当たり前とみるか、この世界でそれはばらばらだ。

だが、あごマスク路上喫煙男、俺はお前を許さない。