白みかん

白みかんは、おいしいみかん。みかんを剥くのがうまいよ。

ブログが更新される時

「ゲーミング環境が整ったeスポーツ施設内」の写真

暇だ暇だなんて言っていても、ブログを更新するなんて行為をしている人間があまり多いようには思えない。
実際のところは、あまり分からないのだが。

昔は検索すると個人のブログなんてものがたくさん出てきたものだが、現代はアフィリエイト系のブログが強くなりすぎたのか
企業の案件化、それを意識したようなものばかりが表示される。
つまらなかった。

俺が見たいのはもっと個人の分のわかない感情を無理やり文字に押し込めて見切り発車でインターネットの海に流しだしたような、環境を汚さない廃棄物の弾丸だった。
モノブログなんて言うのはアクセス数が極端に低く、特にそれを改善するためのSEO?や、ブログランキングへの登録も行っていないので
いまだにアクセス数は1桁を保っているのである。

もしかしたら、歴代のブログをずっと続けていれば違うのかもしれないが、媒体を乗り換えたくなる俺には無理な話だった。
しかしブログが更新されるときというのは、何が起きているのだろうか。

俺のブログ更新欲は突然やってくる。
特に朝暇だったりとか、中途半端に時間があるときとか。
ついこの間まではちょっと勉強の時間を取りたいなと思っていたので、夜だか昼だかには勉強をしていたのだが
それも終わってしまって新年度になって、またフリーな時間になってしまったのである。

そして日常で考えたことを誰にも話さずに、生活を繰り返し繰り返し
繰り返し繰り返し行っているとどんどんと話たいことが自分の中で押しつぶされて
謎の感情という、最早文字ではない何者かに変貌してしまう。
なんだかそれをためっぱなしにしているのは自分の体に悪いような気がして
そうした時に飽和したものを処分するためにブログを更新するのだった。

幸いにもタイピングは遅くない。
画面を見ないで打っているときはさらに速くなる。
見てないので誤字には甘くなっているのだが、まあそれは個人のブログなので許される範囲だろうか。
タイピングに関する仕事をしたのは幸か不幸か
タイピングなんてものは結局のところ肉体を酷使したものなので工事現場の人たちと変わらない気がする。
別に工事現場の人たちを批判するつもりはないのだが、いえば工事現場の人たちよりも体力もつかないのに
指先という局所的な鍛錬ではあまりに生かせるところが少ないのである。

そして、仕事で経験を積んだ自分より、全く違う仕事をしているはずの人のほうが速かったりして
この世は絶望的だと悲観する気分にもなる。
…とはいえ、文章に詰まることはなく、むしろ自分の文書が考えるスピードにタイピングが追いついてきたというのは悪くないことだった。

まあ、オチを考えてからそれに向かって文章を書くような、高潔なものは生み出せないのだけれど。
今回の記事のようにね…。