白みかん

白みかんは、おいしいみかん。みかんを剥くのがうまいよ。

「なんで宿題があるん?」 学ばない日本人について


洋書の本棚の写真

ツイッターのトレンドは毎日更新されている。

「学ばない日本人」というなんとも痛ましいものが今日のトレンドとして上がっていた。
これに関して思うところがなくはない無職である。

無職はアルバイトのことなど考えはいない。
日々、パソコンの画面と向き合っているのである。

「学ばない」という言葉に対して思うところは
日本人は学生の間は毎日課題を与えられてきたということである。

最近、向き合うことのある小さな体はこう言っていた。

「なんで宿題があるん?」

すくなくとも自分は小学生の頃は、ふつうに普通の価値観を持っていたと思う。
小学校1年生の時に6年生から言われた
「1年はいいよなあ」という言葉が頭の中に響いており
この25歳の体まで受け継がれていることは
時間の拘束に対する人々の不満が俺の中に強く感じるものがあったからなのだろう。
だから俺は夏休みの宿題をさっさと終わらせるタイプではなかったし
自主的に努力するような人間でもなかった。

算数で0点を取ってしまうような落ちこぼれた人間であった俺は
塾にも通うことになった。

俺は当たられたルートに乗って
基本的にはそれに従って生きてきた。

テストがあって、それに対してノーリアクションだと
悪い点数が返ってくる。
悪い点数が返ってくると、先生や親から叱られる。
叱られるのは、結構つらい。
なので、いい点数を取る。
いい点数を取ると周りからの評価が良い。
周りからの評価が良いと、自分に対して特に問題は起きない。
不利益のないことはいいことだ。

そうやって目の前にある課題…障害を排除していくうちに
18年もの時が過ぎ去っていった。

そうして大学。
目の前に固定されていたルートが一斉に分岐していったように見えた。

自主的に自分が歩いていく世界を選んでいけ

そういわれた気がした。
実際にはその前にもいくつもの分岐ルートがあったのだが
愚かな自分の目には見えていなかった。
そのルートを発見できるのは幼いころに特別な刺激を受けた人や
努力を重ねた人、あるいは親がルート選択をした人などである。

勉強ができないというのは課題を単なる障害として認識し
それを除くという消極的な形でしか勉強に向き合ってこなかった結果
起きるものではないだろうか。

宿題がなぜあるのかは
課題という形で勉強のサポート、促しを行っているにすぎないのだ。
別にしなくてもいい。
自主性さえあれば。

そして自主性があるのならば
君にとって宿題など取るに足らない。

そして宿題を面倒だと思っている時点で
その人には自主性などないのではないだろうか。
いや、あるいは宿題の内容がその人にとってとても低俗で
時間を縛るものでしかない可能性もある。
それほどの能力があるのなら、次は環境自体を変えるよう周囲を説得するしかない。

勉強は、方法に過ぎない。
それは過程に過ぎなくて目標ではないのであるから
俺はきっと目標を決めてから勉強を始めたほうがいいのだ。

だから、目標を立てるということに慣れていない俺は
この世界で立ち回っていくのには、不利なのだ。

でも、それでいて、みんなも一緒にいてほしいと思う。

たまにインターネットやメディアでは
「このままじゃあ日本からスティージョブズみたいな
 偉大なる革命家が生まれなくて大変だ」
なんて言っているけれど
生まれなくていいと思っている。

人類がこれ以上発展すると
もうそろそろ痛いリターンがくるんじゃないだろうか。