▽無職の期間
引っ越してからもう何日たったのだろうか分からない。
少なくともわかっていることは
自分が初めて引っ越した時よりは
何の感傷もなくて、ただ静かに自分を延命している感覚だけが
この手の中にあるということだけだった。
無職という立場のような立場らしくない何かは
すばらしく、自分の怠惰さのパラメーターを押し上げてくれた。
朝起きても何も特別になすべきことはないので
徐々に俺の生活は夜型に変わろうとしていた。
夜に起きていても特にいいことはないのだが
朝に起きたほうが街の明かりとともに自分が覚醒していく感覚があるのだが
どうしてか、人間は夜に妙な魅力を感じるものである。
いや、この時代、主語を大きくては
いろんな方面からの攻撃がいつ来るか分からない。
自分の中の人間的本能が、くらいにとどめて吉か。
俺の中の人間的な本能が、夜に妙な魅力を感じているのである。
こんな書き方をすると
まるで自分が夜の街に慣れている
新型コロナウイルス自粛を破りがちな人種的な感じになってしまうのだが
むしろ夜遊びの類はしたことがなくて
今時珍しいほどの健全すぎるくらいには健全な人間だという自負がある。
生まれてからずっと、一つの部屋に閉じ込めておくことはできないが
俺はそういう意味では、結構健全な精神の折の中で
生きてきたほうではないだろうかと思った。
環境が健全だからと言って、精神のほうまで健全とは限らないが…。
無職の1日は、短い。
いかに時間をつぶすか、ということを考えている間に
時間が勝手につぶれていたりもしなくはない。
以前、アマゾンでレンタルしたビデオを再度レンタルすることだってあるのだ。
そんな、無駄なことはないような気がする。
そんな名作でお気に入りならば購入するべきではないだろうか。
今日も日が昇っていたが、顔を見せている時間は
決して長くはないだろう。
無職はヴァンパイアに似ている。
嘘だ、似ていない。
▽夏休み
この無職期間には8月が丸ごと含まれていた。
俺は8月から働けるよ!と言ったが
企業側の受け入れ態勢も、恐らく大変で
俺の入社は9月になった。
そう、これは俺の夏休みだ。
社会保険を払い、住民税を払った。
結構、高かった。
無職にこんな出費を払わせるのはつらい。
役所は、ハローワークは俺に一円もくれなかった。
世の中、そんなに甘くないのである。
しかし、数十万もらえるか、もらえないかの境界がたった数日とはどういうことなのだろうか。
夏休みに入ったからと言って、俺は虫取り網を持って出かけるなどということは
全くする気にはなれなかった。
世の中のどれほどの人たちが、この夏休みを楽しめているというのだろうか。
学生はどうか。
俺の過ごしていた夏休みなど
今の学生に比べれば幸せなものである。
選択肢がある。
現在の世の中は、あれだけ多様性の重要さを主張しておいて
現実は、パラリンピックに学生を動員する癖に、修学旅行はカットするという
まるでお笑いのような理不尽を押し付けているのだ。
鬱屈した精神を練り上げるような存在は
もしかしたらこの世代から現れるのではないだろうかと思ったが
そもそも鬱屈した精神を持っているような人間は
学校行事など、初めから楽しみにしていないので
いくら行動を制限されようと困らないような気がした。
だとしたら、世の中の闇は、あんまり変わっていないのかもしれない。
▽とにかく無職の話しよう
無職はやることがない。
無職は、どのようにして生きているのだろうかと
無職のワークショップみたいなことがあれば行ってみたいと思った。
だが、ワークショップなんていうかしこまった場に行けば
出てくるのは自称、個人事業主みたいな訳の分からない意識高い系の連中に決まっている。
俺は意識高い系の連中が出てくるときには
決まって、トップな時期が問いあげられているだけで
やがて廃れていく存在だということを想像する。
そして彼らは意識高かった自分を恨むのだ。
…とはいえ、一度でも成功した人間が
一度も成功してない人間に劣るなどなかなかない話である。
無職は、なんとも言えない気持ちになった。
▽家を出たくない
今の時代、デリバリーのサービスが充実している。
インターネットスーパーは、大量の手数料がかかるものの
サービスとして成り立っている。
ネックとしては思うように食材が届かないところである。
自分でメニューを選択しているにもかかわらず
当日にその食材が切れてしまった場合には
その食材は届かない。
偶然が重なってしまった場合
その時、食べられる食材が
足りなくなってしまうことだってあるわけだ。
それでは死んでしまう。
無職が孤独死してしまう。
▽夏休みの終わり
8月はそんな感じで怠惰に過ごした。
この毎日に意味があるのかといえばなかった気がする。
俺は無駄にまた一つ年を取ってしまった。
しかもこれは20代の後半に入るというなんとも重大な一歩であった。
そう、これはまるで月に降り立った人間になったような気持ちだ。
20代は一番長いなんて言った人もいるが
長く感じるのはその時にさまざまな体験をした人だけである。
もう、終わった。
夏休み。
そして、始まる、社会人第2章が。
その先に待つのは漆黒の闇か、グレーか、それとも…。