とんでもない失礼な話をこの誰も見ていない空間ならば書ける。
「お前はデリカシーがないな」
総学生時代に言われ続けた俺はいつしかデリカシーのなさを自覚し
最近は、「そういうこと」をできる限り言わないようにしている。
かわりにできる限り相手のポジティブな部分を、相手に対するポジティブな気持ちを、探すようにした。
それにしたって思うことはある。
口にしなければ世の中に漏れないことも、内心から消えるわけではないのだ。
在宅で連絡をしているとなんやかんやで誰かと連絡をすることはある。
そうやっているときに自分は何人かに、自分の薄っぺらい知識を共有した。
そういうときの自分は喜んでいるように思う。
相手が男性だろうが、女性だろうがそれは関係なかった。
そうやっていてある日俺はビジネス的な理由でオフィスに出社した。
そして在宅の時に顔も見ずに話していた人がものすごい美女だった時に
なんだか…俺は…緊張した。
そして俺の中に打算的な何かが…生まれる。
そういう自分自身に向き合ってみて思うのは
相手の顔など分からないほうが俺はフラットに相手のためを思って行動できるということだった。
別に顔も分からない状態のほうが俺は相手のためにできる限り分かりやすく
そしてできる限り優しく話すことにした。
なんだかいやに美人なその人を見て、このフラットな状態の自分を崩れようとしていることは
ものすごい自分にとってマイナスな気がしてならない。
理性的な自分自身はそこにある。
なのにルッキズムに支配された俺は、それを欠こうとしている。
たぶんこれは逆もあるのだ。
今回は美人だから、という反応だった。
だとすると自分の好みではない顔の人だったら…と思うと
自分の心の動きが自分で嫌になる。
どうしようもなく、つれえ。
そんな自分がどうしようもなく、醜い。