白みかん

白みかんは、おいしいみかん。みかんを剥くのがうまいよ。

新型コロナウイルスの自粛世界



新型コロナウイルスは、今というものを
恐らく小規模な未来の事象を表しているに過ぎなくて
メディアが一生懸命にその危険性を訴えて人々に自粛を促している。

日本人はそんな簡単に変わったりはしないと思っていた。
だが、マスクをつけるという行為そのものをマナー化して
新しい世の中へと見事持っていった。
マスクのつけ方は結局、個性のようになってしまって
またしても形骸化が行われようとしている。

それでも自粛は促される。
自粛に従わない、新型コロナウイルスを恐れないという価値観は
命を守るというもっともらしい言葉のために
コンフリクトを起こし、人々は衝突した。

この世代以降の出生率は大きく下がってしまわないだろうかと心配になる。
とはいえ、仕事に行かない職場もあれば
仕事に行く職場もある。
仕事に行く職場の場合は、その中で直接のコミュニケーションもあるだろうが
それ以外に関しては…特に友人間のコミュニケーションに関しては
絶望的である。

世の中のことをまじめに考えている人ほど
自粛に対しては、積極的であるから
そういう人たちの集まりの場合は、会えないのかもしれない。

どうでもいいよと思える間柄でしか
合えないというのは、あるいは
それでも会いたいという間柄でしか
その関係は成立しない。

薄く、緩いつながりを断ち切った新型コロナウイルスの世界。
この世界に、また今日も太陽は昇る。

トルコ風アイス|練れば練るほどおいしくなる

今週のお題「好きなアイス」

 

 



それはトルコの風

昔の自分が好きなアイスといえば
それは「トルコ風アイス」だと言わざるをえない。

隣町の駅前で、今はどこで何をしているのかまったく分からない
幼馴染のSとともに遊んでいたころ、俺はトルコ風アイスを買うのが好きだった。

砂場でそれを開くと、真っ白な顔がのぞいた。
俺はその真っ白な顔が気に入らないとばかりに
もらった木の棒で表面に傷をつけて
中身をえぐってかき回していった。

その特徴というのは、練れば練るほどおいしくなると
銘打たれていることである。
そのアイス、当時の自分にとっては決して安くはなかった。
今の自分ならば、別にアイスなどは好きなだけ袋に詰め込めばいいのだが
(とはいえ、そこまで食べたいわけではなくて
 また、冷凍庫にもあんまりスペースはないのだが)
その価格はうまい棒に数倍はするという高級品である。

では俺は、購入する対象にはそれなりのハイスペックさを求めるのだ。

ともに成長しよう

しかしながら、ほかのアイスは
もう完成しているよと
店先の、あるいは店中の冷凍庫に並べられているだけであった。
その中でちらりと周りと同じような顔をしながら
「私はまだまだこれからよ」と
生意気な顔を強いてう人のがトルコ風アイスである。

練れば練るほどおいしくなるのならば
俺の努力次第でこのトルコ風アイス
まだまだ輝くを増すということなのだ。

トルコ風アイスのポテンシャルを引き出すのは
俺自身なのだと考えると俺はなんだか不思議な気持ちになった。
そうだ、一緒に成長しようトルコ風アイス

しかし、トルコ風とはいったい
どういう意味なのだろうか。
グーグル検索を一瞬してみたのだが
トルコ風風呂なるものが出てきて
トルコ風の意味をつかむことはできなかった。

誤解

俺は小学生のころは肥満だった。
ある日、テレビでこういう物を見た。

アイスを食べると体温が下がる。
そして、人間はその体温を上げるために
体の中の脂肪を燃やすので
アイスを食べてもそれ以上に痩せるので
いくら食べても大丈夫!

衝撃だった。
アイスをいくら食べても大丈夫なのだ。
トルコ風アイス、待っていろ!

別れ

いつからか、トルコ風アイス
その姿を見かけなくなっていた。
なぜだろうか。
子供のころの記憶には不思議な頃がたくさんあった。
幼馴染の兄弟DとYが一家事突然消えたのもそうである。
彼らはもしかしたら、死んでしまったのではないだろうかなどと
時折思い、ジャンプで好きな漫画が
突然、来週からやりません、今週で終わりですなどと書かれており
訳が分からなくなった。

トルコ風アイスの消失は、それくらい大事件だった。
理由を検索してみると
何らかの策略というよりは
単純に人気がなくなって製造中止になったということである。

ということは、だれもが
俺の信じていたようにトルコ風アイスのポテンシャルを
信じてやれなかったことが原因のようだった。

しょせん、まがい物

俺は、そのあともトルコ風アイスの影を追い求めていた。
テレビでまたこういうことがやっていた。
通常のバニライアスにあるものを入れることで
トルコ風アイスが再現できるのだと。

それは納豆だった。
正確に言えば納豆のねばねばした部分である。
これを入れることによって、トルコ風アイスが再来するのだという!

俺はねばねばを、「爽」に入れてみた。

確かに似たようなものにはなった。
しかし、ネバネバと一緒に入ってしまった。
いくつかの納豆の本体のにおいが邪魔をして
トルコ風アイスと呼べるものではなかった。
これはまがい物である。

まがい物はしょせん、まがい物…。
俺は、トルコ風アイスと永遠の別れをすることになった。

こうして、俺とトルコ風アイスの道は
分かたれたのだった。

時間の流れに追いつけない

時間の高速化

ニートをしていると1日の流れが異常に速い。

朝起きて用意をするともう昼になっており
ひるに何か休憩したいなという気分になっち得ると
15時くらいになっている。
15時くらいになっていると太陽は頂点を回っていて
すでに帰りの支度をしているかのように見えている。

一方自分はというと
まだ大丈夫、大丈夫だろうと高をくくっていて
のんびりなどをしているうちに17時を回っていた。
驚愕のうちに俺は、そろそろおなかがすいたんだなどと思いながら
ご飯の用意などをして、たまには冷蔵庫に何もないことを察して
近所とも言えなくはない、コノミヤや業務用スーパーに出かけるのだった。

そうして近所でもないといえるくらいの距離なので
結構、時間がかかったりしている。
もう、19時くらいになっていた。

夏の太陽は帰りの支度をしているとはいえ
働き者である。
空はまだ明るい。
赤いといってもいい。

その赤さは上から押さえつけられて
そのうちに暗くなり始めるのだが
いつの間に電灯がついているのかなど気づかないままに
いつの間にやら20時くらいになっている。

ロジスティック関数

ニートは気づかない。
自分と昨日の自分さほど距離が開いていないことを。
人間とはそんな1日で圧倒的に差がつくようにはできていない。
昔、東大教授が、ペテン師のように講演をしていたことがある。

彼の話を後から調べてみると
あんまりソースらしいものが出てこなかったのだが
彼の話は眠気に襲われていた
会場中をくぎ付けにするほどに面白かった。

彼は人間の学習と成果は
「ロジスティック関数」だといった。

学習をしていると最初のうちは何の成果も出ていないように感じるのだが
ある日、突然、成果が出る。
そこの壁を乗り越えられるのかどうかが
凡人と努力凡人の違いだというのだ。

積み重ねが重要だというのは
もしかしたらこういうことなのかもしれないと思い始めていた。
自分の人生でどれくらいこういう知見めいたものを得られるのかは分からない。

この話だって会社の用意した講演会に行っただけだ。
自分から行動してつかんだ情報じゃないし
もしかしたら新型コロナウイルス蔓延下の今は
この講演は行われないのかもしれない。

ニート

では、ニートの自分はどうなのかと言えば
インターネットの海を放浪はするのだが
特別何かを学んで強くなれているのかといえばそんなことはない気がするのだ。
パソコンをタイピングする。

昔は、公共方法に乗せて流すくらいの
スピードはあったはずなのだが
こういう指の動かし方だったっけ?と迷いながら打つのが
せいぜいという状態になってきている。

速いときは速かったはずなのだが
あれはいわゆる、集中状態になっているからなんだろうか。
ブログを書くだけの自分はアマ集中していないということなのだろうか。
IMEの短縮入力ありきの速さなので
あんまり意味がないということも言えるのであるが
この入力方法が次の会社で使えなければあんまり意味のないことになってしまう。
つまり前職で得た経験は
ゼロと見積もっておいたほうがいいのかもしれない。

ゼロな人間だ!

お前はゼロな人間なんだ!

 

血を出す無職

 



血が止まらなかった。

昨日、夜に止めていたはずの鼻血がまた出てきて
そこから一晩中、俺は鼻血を出していた。
この血はいつ泊まるのだろうかと思いながら
横たわると、口の中に血が逆流してきて
口から血を吐きまくる羽目になった。

卒業したので

前とは違い、ロフトベッドではなく
一般的なマットレスにそのまま寝ているような形になっているため
俺は洗面所に何度か行って血を吐いた。

それでも血は止まらない。
大丈夫か?
あまりにずっと血を流しているので
俺は自分の血の量が心配になってきた。

人間は何%かの血を失うと死んでしまうという話を
どこかで聞いたことがある。
そんな実験の詳細を俺の脳が覚えているわけがないのだが
とりあえず、俺の血は止まらなかった。

そんな日に限って俺は夢を見た。
新型コロナウイルスがなければ
俺はもう少し、違う日常を送れていたのだろうか?

基本情報技術者試験の存在感

 

 

 

新型コロナウイルスが蔓延して
転職の市場というものに人があふれていた。
その事実については実際にハローワークに足を運んだり
複数のエージェントサービスを使った自分としても
認識したものであったし、客観的にも主観的にも
間違いのないものとして認識されたものだった。

自分の転職活動を振り返って思うのは
基本情報技術者試験の存在感である。

確かに自分は2021年の春の試験で
基本情報誌技術者試験に合格した。
自分が入社した時に「目標宣言」という
自分が達成したい目標を話すという機会があるのだが
大抵の人間は具体的な目標を話すことができず
IT業界において分かりやすい指標とされている
基本情報技術者試験の取得を持ち出すのだ。
俺も例にもれず「基本情報技術者試験に合格します!」と宣言した。

結果として1年目に受けた試験の結果は大敗だった。
何が書いているのか、そもそもどういう問題なのかすら
俺は認識できず、手応えというものの実態すらつかめないまま
俺は逃げ帰ってきたのだった!

しばらくはそんな試験のことは忘れて
(自分の配属された部署では
 全くその試験の内容は生かされないため)
生きていたのだが
いざ会社を辞めるとなった時には
宣言したものをそのまま放置するというのは非常に悔しいものであり
過去の宣言をうやむやにしているのが気に入らないため
休憩時間や家に言える時間を利用して勉強した。
休憩時間などは誰とも関係を持っていないことで
ひるごはんを食べずに勉強した。

勉強したとはいってもただ問題を解いているだけであり
何か高尚なことをしたという感じではなかった。
本当に毎日、ただ25問の午前問題と
いくつかの過去の大きい問題を解くのだ。

そして、デジタル化された基本情報技術者試験に合格した。
問題自体は例年通り難しかったが
噂によるとその年の基本情報は合格者が多かったそうだ。
俺は運がよかったのかもしれない。

…と、ここまでが取得までの話である。
俺はその数か月後に会社を辞める。

そしてそこから転職活動が始まるのだ。

転職活動中によく言われたのが
「基本情報も持っているし~」だった。
未経験ITは厳しいといわれる世の中である。
俺も前職は企業がITなだけで
業務内容自体は全くITと関係ないところから
最初は「ブラックIT企業で職歴を積んでから転職する」
ということを提案されていた。

基本情報というのはそれだけで
持っているだけで文系にとってはプラスらしい。

「頑張るぞい!」とは口だけでも何でも言えるのである。
頑張ります、といって、家では何もしないヤツなどあふれている。
という意味で言えば資格という形になっているものに
日本人は弱い、いや日本人だけではないのかもしれない。
やはり実績というものはないよりはあったほうがいいのであるから
俺たちが企業を属性で絞り込むように
企業側も「資格あり」「資格なし」でふるいにかけるのだ。

「基本情報も持っているし
 努力もしていることを感じます」

たぶん努力をしていることを感じてもらっているのは
基本情報を持っているからなのだと思った。
実際、合格証明書が届いていなかったので
照明しろと言われたら無理だったのだが
あんな状態で内定まで行ってもよかったのだろうか?

このブログをいちいち見ている人間はいないと思うのだが
未経験IT転職をするのならば
準備として基本情報と応用情報を持っていくことをおすすめする。
どちらも頭のいい人たちであるならば
座学として勉強するだけで取得できるはずだ。

 

 

 

 

 

ここでエンドクレジット流して

はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」

 

 

 

人生で記憶に残っている瞬間というのは
生きてきた時間に対応させるとそう多くはない。
人間の脳みそには残っているのかもしれないが
意識的の思い出せるものというのは
本当に印象に残っている一瞬一瞬しかないのだ。

記憶に残っているあの日
あれは東京オリンピックが決まっているか決まっていないのか
よく知らないが人類が気ままに過ごしていたころだった。
2016年。

当時の自分は大学3年生で
それはそれは人生初めて訪れた青春の機会を
逃すまい逃すまいと、必至だった。

初めてのサークル、初めてのバイト
初めての友達、初めての恋人

課題に仲間とともに立ち向かい
それでも足りない部分は親の力を借りて
家族の力も、あらゆる知り合いの力も借りて
そうして俺は課題に立ち向かって、勝利するのだった。

小さい世界だった。
その世界を守るために時間を注いだ日々は
今振り返ってみれば小さい小さい自分が
砂場で妄想にふけっているような子供の遊び場で
やがて来る終わりの日を想像せずに
ぐるぐると、ぐるぐると毎週の活動を繰り返し続けた。

永遠はない。
むしろ、学生が過ごしている数年なんてものは
人生のほんの一部分にしかすぎないのに
その時間はとても長く、長く感じられた。

12月の末。
自分が代表を務めているサークルの
代表としての最後の日がやって来た。

当日の朝まで準備をしていた俺は
起床時間でやらかしていることに気づいた。
最後の最後で…。
俺は走った。
冷たい空気を飲み込んで、駅へ、大学へ。
その一つ一つさえも終わりであることに
恐怖を覚えながら。

最後の活動は、それとなく
気持ちよくも気持ち悪くもなく進んでいった。
分からない。
自分が求めていたことがそこからはすでに失われているような。

冷めたうどんをかき混ぜてあっためようとしているような
そんな手応えのなさが、あった。

集合写真を撮影して、建物の外へ出て
最後の挨拶をした。
挨拶は、うまくいかなかった。

冷たい。

なんだか、喪失感にとらわれたほうがいいかなと思って
俺は喪失感にとらわれたような感じで歩いた。

のちに俺を喪失感の渦に堕とすことになる先輩Aが現れて
俺にいくつかの言葉を投げかけた。
俺はその言葉には応じなかった。

12月の空気はすでに冬真っ盛りだった。
俺は最後の活動には参加しなかった2人
親友だと思っていた2人を駅で待っていた。

缶コーヒーのようなものを自動販売機で購入した。
それを飲まずに手を温め続けた。

なんだか…。
これ以上、生きていることに目標を感じない気持ちだった。
俺はサークルに入って自我に目覚めた気がした。
生きていく目標のようなものをそこに見出して
2年後に代表になることを目指して
いろんな場所に自ら足を運び
挫折して、それを乗り越えて、人とつながって…を繰り返した。
世界に当たり前のようにそれをなすことのできる人たちがいる一方
今までの人生で、そういうことを行ってこなかった自分が
初めて、人らしくできたその場所のために生きようと、思っていた。

それが終わった。
夕日が沈み、空に混ざっていた赤色が抜けて
冬らしい深い青が降りてきていた。
依然として、人を待っている俺は
「ここでエンドクレジット流して」と言わざるを得なかった。

これ以上、得るものはない。
これ以上、目を向けるものはない。
ここでこの世界を閉じてくれれば、なんときれいな引き際だろう。
今の俺には友達も恋人も仲間もいる。
そしてやりきった、人生で初めて、何かを最後まで。
ここですべてを終えられるのなら最高じゃないかと。
そういう想いで安全柵などないホームで待ちぼうけしている俺は点字ブロックの外側に足を踏み出していた。
電車は聞き飽きた警告音声を鳴らして近づいてきていた。

電車は目の前を過ぎていった。

雪が降りそうなくらいに寒い日だったが
吐いた息が白くなるばかりで、俺がサークルの中で行っていたような
過度な演出はなかった。

今頃、ほかのサークルメンバーたちは
今年最後の飲み会を楽しんでいるころだろう。
そして、自分は…。

2021年。
自分は当時あったはずの友達も恋人も仲間もいない。
無職の期間を1日1日過ごしている。
新型コロナウイルスの自粛など関係なく
特にやることがないから外出しないだけで
自粛に協力という意味では
そのへんの誰よりも、俺は自粛していた。

俺の思っていたことは正しかった。
あそこでエンドクレジットを流してくれていれば
あの瞬間の俺はきっと幸せだっただろう。
実際には人生は続いていく。
そして続いていった。

その翌年にそういった驕りや、自分しか目を向けない怠慢から
自分は恋人を失い
その翌年に喪失感を植え付けられ
その翌年に親友2人を失い
長い不在期間で仲間たちとの交流も失っていった。

あの頃にあった花火も、ケーキも、ない。
笑い声は聞こえず、湧き上がる情動もない。

記憶に残っているあの日は
本当に自分の思い出なのだろうか。
もしかしたら本当に砂遊びをしている自分の妄想ではないだろうか。
手元のパソコンの中にだけ存在する画像データが
その記憶を担保してくれていた。

俺はその記憶を一生忘れないだろう。
その記憶こそが呪いとなって、ずっと苦しんでいる。

 

 

ディジタルスティグマ

はてなインターネット文学賞「わたしとインターネット」

 

もう後戻りはできんぞ、LANケーブル束の戻し方を忘れちまったからなの写真

スティグマとは
直訳で「汚名・烙印」というものを意味するらしい。
もともとは奴隷や家畜に押された焼き印に由来しており
キリストの十字架で受けた傷跡なども指すらしい。

しかしながら自分がこの単語を覚えていたのは
少年漫画などでなんか格好いい烙印が現れたときに
「これは…呪われたスティグマ…!」などと
格好よく言っていたからなので
ここではそんな深い意味はないけど
デジタルタトゥーより、もっと強い意味を込めた
デジタルスティグマだ!という意味で使うことにする。

「…そうか!」と読んでいる人にも思ってほしい。
あなたにも過去あったかもしれないし
これからあなたに起こるかもしれない…
いや、刻まれるかもしれないのだから
このスティグマは…。

俺がパソコンを手に入れたのは中学生になった時だった。
ある日、その後、酒を飲みすぎて命を落とすことになる祖父が言った。

「パソコン買いに行くぞ!」

俺はその強い勢いに押されて
言われるがままに車に乗り込み
数分後には電気屋の一階にいた。

祖父は店員を捕まえてこう言った。

「パソコン買いにきたぞ!」

先ほど俺に言った言葉をちょっと活用させただけで
ほとんど同じセリフを言っていた。
店員はその勢いに負けずパソコンを紹介し始めた。

「このパソコンなら動画も作れます!」

なぜ動画を作る話になったのかは全くわからなかった。
パソコンというものが俺にはピンと来ていなかったが
動画を作れると聞いた時、俺の頭の中には
車がカプセルの中を飛んでいるような近未来のイメージが走った。
その近未来のイメージがなんか古いのは
当時家にあった参考書が昭和感丸出しのものだったことが
影響しているだろうと思われた。

店員が推したその白いパソコンを購入することになった。

「インターネットは通っていますか?」

店員が尋ねた。

「そんなん知らん!」

祖父が答えた。
そこからインターネットを家に開通させるまで
激しい苦労や業者との架空料金請求など
さまざまな面倒があったが、紆余曲折の末に
俺の部屋(出ていった父親の部屋)にパソコンが現れた。
ノートパソコンではあるが圧倒的な存在感だった。

インターネット開通。
R18コンテンツというものを知らなかった俺は
当然そんなものにアクセスすることはなかったが
店員の「動画も作れます!」を聞いていたので
動画サイトへのアクセスを行った。

時代は2009年。

Windowsムービーメイカー。
いろいろとパソコン内を探索した結果
このムービーメイカーが
「動画も作れます!」の正体であったと俺は突き止めた。
そして、俺は試行錯誤の末、操作方法を習得し
手元にあったメモ帳に棒人間を書きそれをすべて撮影して
パソコン内に取り込んだ。

いくつかの動画をYoutubeにアップした。
主張したがりな人間だったのだろうか。
そこまではよかった。

俺が行ったミスは
掲示板という世界に触れてしまったことである。
まとめスレッドというものはあまり見当たらなかったが
俺は掲示板本体に書き込みを何度か行い
トリップという謎のルールを知らないこと自体に対して
ぼこぼこに叩かれたり
何かそのころ自分の中で流行っていたキャラクターに
なり切ってぼこぼこに叩かれたりした。

なんとなく格好いいセリフを言っている
キャスフィ掲示板の人間を攻撃して
逆にぼこぼこに叩かれてアクセス禁止処分を受けた。

SS投稿掲示板なるものに文章を投稿して
アカウントが乗っ取られた末
悔しいのでアカウントを乗っ取った人のふりをして
書き込んで敗走するということもした。

ウチにウチへ。
インターネットの表層辺りの
ごみごみした世界へ漂っている生活が続いた。

FC2ブログを作って
コンテンツをよそからパクってきて
叩かれてしまうということもあった。

思い返せばどこへ行ってもたたかれている気がしてきた。
叩かれているというだけで
別に俺の発したものが足かせとなっているみたいなことは特にない。
そういう意味では世間一般のデジタルタトゥーは俺にはないのだが
記憶の中にはずっと、そのころのインターネットで漂う自分が
焼き付いているのだ。

Youtubeにかつて上げた動画の中には
時を経て○○万回再生を記録しているものもあった。
時は資産だという。
そういう意味でいえば積み立てなんたらも
案外馬鹿にできないものだなあと思ったのだった。

君にもあるだろうか。
普段は人からも見えない
自分からも見えないけれど
そでをめくれば、デジタルスティグマ

俺の片腕が、うずく。