現代はすぐに死ぬだの、殺すだのと言う。
実際の死に触れ合う機会は職業的に多くないのであれば、やっぱりそう多くはないだろう。
俺は祖父の死にゆくところを見た。
見たというか手を握っていくのでいわゆる「冷たくなっていく」を感じた。
死に際の祖父の眼球はなぜか真っ黒だった。
あれは俺にだけ見えていたのか、それともみんな見ていてスルーしていたのか、それは分からない。
老いた人間が亡くなってしまうのはしかたないことだと思う。
それは生物である以上、しかたないことだと思う。
だが、若者はどうだ。
俺は、もう若いとは言えない年齢になった。
何をやっているんだろうとは思う。
だが、それよりももっと若い命がこの世界にはいくつもあった。
亡くなったと聞いた。
彼女は解離性同一性障害を患っていたという。
そして、もう1人解離性同一性障害を患っているという女性がいた。
彼女と連絡が取れなくなってから、もう随分立つ。
俺は彼女に何をしてあげられるわけでもない。
あげられるわけでも、無かったのだ。
所詮、どこまでも他人。
どこまでも他人だから、何も干渉できない。
どうしても亡くなっていないかと心配になった。
でも、死を扱うのは、軽くなかった。
だから、俺は口も、手も閉ざすしかない。
だから、せめていきていて欲しいと思うしかなかった。