白みかん

白みかんは、おいしいみかん。みかんを剥くのがうまいよ。

The Funeral

 

1月2日。その日はまたしても寒い実家の布団の中で目が覚めた。
実家が隙間風だらけだが、その壊れかけた家をどうこうするような気力はなく俺はただその場所に寝転がっていた。
みかんを食べて満足していたがそれは庭でとれたものだという。
それは立派なものであるかのように思えた。

しばらくして俺は祖母の家に行った。
1週間前も祖母に会ったばかりだったが正月なので帰らないわけにはいかない。
そうして到着したころに父の車に一報が入った。

家の扉を開くと祖母が亡くなっていた。

祖父が亡くなったのは去年の2月か3月ごろのようだった。
そして祖母はそこから1年も経過せずに亡くなった。

「泣いた?」

目の前の小さい生き物は俺にそのように尋ねたが
それは首を振った。涙はない。
再婚した父のパートナーなのか嫁なのか妻なのか女性配偶者がいやに大きく泣いていた。
聞けば祖母は生前「自分が死んだら誰か泣いてくれるのか」と漏らしていたそうだ。
であれば、父は祖母の意向に沿った配偶者と結ばれたと言えよう。

救急と警察が来て2時間、涙は出ない。
俺は俺の涙が出ないことに対して少し不満めいたものがあった。
父方の祖母とのかかわりは少なかったが昔からビー玉を袋に詰める内職をして帰るたびに500円玉をくれたという思い出がある。
祖母は服装にうるさい人で白い靴下と必ずボトムスにインしないと許さない人だった。

1月6日。葬式だ。
祖父の時と同じメモリアルホールで祖母を送る。
メモリアルというのは葬式の英語なのかと思っていたがfuneralというのが英単語らしい。
急な用意になったからか、祖父の時よりもエピソード導入が薄かった。

葬儀には2人の息子の関係者各位が出席していた。
2人の息子が結んだ、2つの家族である。
そして孫が4人いた。

こんなにも自分がつないだ命が、家庭がある。
それはとても美しいことですばらしいことだと俺は思った。
だからこそ俺は祖母の死をそこまで悲しいとは思わなかった。
しかし、それは自分本位な考え方であるということを自覚していた。

最後まで「ひ孫を見せなや」とつぶやいた祖母。
俺の人生には「ひ孫」どころか、結婚の予定すらない。
自分に恋愛などもう一度する資格があるのだろうかと毎年、毎月、毎日思わない日はない。
だが、こうしてまた1つ俺は期待を裏切るのだった。

葬式にいて俺が思うのは小学校でやるような「仲間外れ」をあてる問題があれば
それはきっと俺なのだろうと思っていた。
その場に母はいない。
父だけが血縁だが、その父には新しい家庭がある。
どうしようもない孤独感が迫っていたが、その孤独感さえ今は気にならなかった。

かつて父の所有する建物で1か月ほど暮らしたことがある。
その場所で暮らしはじめて2~3日たったころ、夢の中の自分が泣きながら父に何かを訴えていたことがある。
だが、目の覚めた俺にはそのような感情は特になかった。
深層心理で何かを想っていても、それが浮上することはないようだ。
自覚している者のすべてが自分のすべてではないと俺は思った。

葬式が終わり、さっさと俺は帰ることになった。
俺は1人で歩いて葬儀場を後にした。

祖父が亡くなり、1年。
ずっとともに生活をしていた人間がいなくなってからの1年は
祖母にとってどういう生活だったのだろうか。

母方の祖母と過ごした時間が圧倒的に長かった俺は
母方の祖父が死んでから祖母を見ていたからこそ、そこへの心配が大きかった。
母方の祖母はみるみるうちに変化し、みるみるうちに気が狂った。
それを想うと最後の最後まで正常な判断力を持ち
誰を忘れることもなかった祖母の最後は決して悪いものではないのでは思う。

母方の祖母は、気が狂って精神病院に入れられてから10年。
まだ生きている。
生きているが、もう記憶の中にある祖母の姿はしていない。
言い方を代えれば健康寿命は既に尽きている。
これは生きているのか、生きていないのか。

父方はここまで繁栄しているように思うのに
母方はどうしたってこんなふうになっている。
その間に生まれた俺は、精神的にはやはり母方の方に寄っているのだろうか。

無能力たる自分が恨めしい。
こんなに無能でなくて自分にもっと自信を持てていたら俺は…。
人間は生まれた時からどうなるか決まっている。
すでに決着はついているのかもしれない。

身内の死から始まった2024年。
俺は命をつなげるのか。
誰かの役に立てるのか。
早く変わらないといけない。
もっとずっとこれまでにない速さで。