白みかん

白みかんは、おいしいみかん。みかんを剥くのがうまいよ。

記憶に残るあの瞬間を



2024年1月の最終週。週の始まり。
これといって変わらない時の中で1人。
俺は納豆パックから液体のセットを取り出して、かき混ぜていた。
冷蔵庫を開けた瞬間、やけに冷蔵庫の中の納豆が占める割合が大きくなっていることに気づいた。

「納豆なんて、なんぼあってもいいですから」

心の中の能天気な自分が呟く。
いや、冷静に考えがえてそんなわけないだろう。

賞味期限はとっくに切れているようだった。
それでも俺はたぶん、納豆ならば大丈夫だろう、と思ってかき混ぜるという行為を続けた。

ご飯にかけて、食べた。

夜。

腹痛と体調不良に襲われた。
体調の崩れはメンタルの崩れか。
もうずっと1人だった。
1人の時間がこれからも、ずっとずっと続くのかと思うと俺はまたしても終わりたくなった。
年の始まりから祖母が亡くなり、いいことはない。
俺は本当に生きているのか、死んでいるようなものなのではないか。
そう思う。
誰もが進んでいるのに、自分だけが進んでいない。

ああ、どうしたらいいのか、だれか助けてくれ。

その夜も学生時代の夢を見た。
学生時代の自分はもう少しでこんな時間も終わってしまうから
…と妙に切ない気持ちで坂を歩いていた。

そしてもう5年が経過した朝に目が覚める。

俺の人生で一番記憶に残っているのはあの時間だった。
あの4年間が今の自分の表層にあって
生まれてから両親が散るまでの時間が根底にある。
きっと自分は生まれた時からコケてしまっていたのだろう。
だから今、自分はこんな状況の中にあるのだ。

最近、「ソンスルナ」というYouTubeチャンネルを見た。
流行りのずんだもんフォーマットを利用しているが
なにやらフォーマットを利用しているだけではなく作り手の魂めいたものを感じる。
自分だってここまで200本近い動画を作ってきた。
これは未熟者としての自分でも何か感じるものがある。

中でもエピソード、という再生リストに載せられた
自伝のような動画群が心に刺さる。
それは投稿者が恐らく体験したであろう濃密な時間を
10つのエピソードに分割して10分程度でまとめた動画群である。

シンプルにすごいと思った。
今までの動画のように役に立つ情報を交えつつ
主題は自伝、しかもその自伝を作るに至ったさまざまな瞬間を描いている。

一体どうやって作ったのだろうか。
構成を考えるのも一苦労ではないだろうか。

俺は記憶に残るあの時間のことをいつもいつもアウトプットしたいと思っているが
さまざまな媒体で挑戦しても途中で手が止まってしまう。
「作り切る」というのは最高に難しいことなのである。
特にそれが自分自身に結びついていればいるほどそれは難しい。
切り出した自分がなんだか虚しく思えてきて
頭にある内は名作でも、外に出してしまえばゴミのようなものに見えてきて難しい。

他人軸か、自分軸か、というお話がある。
俺は他人軸に見せかけた自分軸だと思う。
俺は他人のためにというお題目がついた時、力を発揮するが
それは頑張る理由を他人になりつけないと行動しないという卑怯な特性ゆえだろう。

大学を卒業してから毎夜
己の醜い部分と向き合ってきた。
分かったこともいくつかある。
だがそれでもそれを対人しているときに落とし込むのは難しい。

人と話しているときの自分は
まるで何かにコントロールを奪われているかのように
ひどく、御しがたい。

いつからこうなってしまったのか。
たった1つの要因さえ取り除けば回避できたかもしれなかった。