白みかん

白みかんは、おいしいみかん。みかんを剥くのがうまいよ。

個人的バレンタインの…歴史!

今週のお題「チョコレート」

日本はクリスマスもバレンタインもおかしいと言わざるを得ない。
なぜ恋人たちのイベントにされてしまったのか。
日本のマーケティング文化として成り立たせるまでの力を持っていたというのか。
とはいえ、恋ビオたちのイベントかどうかはさておき、世界でもバレンタインはイベント化している。
それならばもうしかたないと、小学校のころには俺は思っていたのかもしれない。
俺とバレンタインとの、あくなき戦い。

バレンタインには悲しいことに義理チョコという文化も存在している。
男は、受け取る側という受動的な立場にもかかわらず
労力ではなく気力を消費しているのだ。
特に、昔は友チョコなるものもなく、女性が男性に贈る「義理チョコ」「本命チョコ」の二択しか存在しなかったのだ(!?)。

そして、ドアチャイムが鳴る。
近所のA子が、近所のB美が、近所のY里が持ってきてくれるチョコ。
義理である。
そして、母親がお返しの商品を選ぶのだった。

そんな俺でも本命チョコをもらうことがあった。
さやかちゃんである。
今は顔も思い出せないのだが、タイプではなかったのだが
さやかちゃんは俺に本命チョコをくれたのだった。

そして案の定母親が選んだお返しの品を俺は、さやかちゃんに贈るのだった。
それはハンドソープの類だった。
そして、さやかちゃんは、それを食べた。

時は流れて、中学高校時代である。
もうその頃はかわいい小学生ではないため近所の義理チョコは消滅していた。
俺は、なんとなく靴箱を見るのである。
…が、チョコなどはない。

よくよく考えてみると靴箱なんて衛生的なところではないため
チョコを置いてほしくないのだが、漫画などの影響でここにしかないものと思い込んでいるのだ。
そして、ない。
ないのであった。

ある時、男たちがたむろして、丁寧にラッピングされた袋をもてあそんでいた。
だが、その表情はどこか物憂げであった。
雑に宙に投げられた袋には、恋模様をかたどったアーチがプリントされており
きらきらと輝きながら男の手に落ちていった。

俺はそれをぼおっと眺めた。
男が言った。

「めんどくさいわ~、いる?」

俺は声も出さずに首を横に3回ほど振った。
男は一人ではなかった、数人の男たちが恐らく丁寧にラッピングされたそれらをもてあそんでいた。

「ひえい~」

俺は心の中でそうつぶやいた。
このモテ男、絶対許さねぇ!とか
それには真心がこもってるんだぞ!真剣に扱えよ!とか
なんかそういう思いなどはなく、ただただ「ひえい~」と
言葉にならないものが決壊してあふれてくるばかりだった。

更に時は流れて、大学生である。
1年目のバレンタインはなぜか京都大学にいた。
そして京都大学の人たちから、義理チョコ…というより
サークル内で配られたお菓子を配布された形で手に入れるのだった。

その次はなんやかんやで充実した時代であったため
恋人から手作りのチョコレートをもらうのだった。
だが、それが、なんと、おいしくなかった。

これ、チョコレートか?

噛んだ瞬間、発泡スチロールを噛んだようなおかしな感覚がした。
だが、だが、俺はうれしさのあまりそれを半分以上食べて
2割くらいを残したのだった。

さらに、さらに時が流れて…。

俺は、同期の女性社員と男性社員に
「ハッピーバレンタイン!」と言って
懐からトッポを取り出した。

トッポがやや溶け始めていた。
2月なのに。

今に至る。

今年は、クッキーが1つと
何かラインのギフトのようなものをもらった。

ラインのギフトのようなものの使い方がいまいち分からない俺は
このラインのギフトのようなものを本当に使えるのかいぶかしむばかりなのであった。

その子のツイッターをタップして見に行くと
どうやらこのラインのギフトのようなものを彼女は配っているようだった。
一体…なぜ…?

はんだごてアイドルを自称する彼女の考えることが
やはり分からなかった。

簡単にカテゴライズされる人間もつまらないが
ここまで訳の分からない行動をする人間も、読めなくて不安になる。

単に幸せを運んで回っているということなのだろうか。
それを信じるには、俺にはあまりにも嘘や裏切りを見すぎたのかもしれない。

そう、間もなくバレンタインである。
俺は与えられるよりも、与えることに喜びを見出す人間です。
だから…。

あっ…もしかしたらはんだごてアイドルもこういう気持ちで配って回ってるのだろうか…。