東日本大震災が起きたのは2011年3月11日だそうだ。
12年前、確か卒業式のその後、向かった塾でそれは起きた。
遠く離れた土地、大阪でさえ感じられる大きな衝撃は小さな教室を騒がせた。
当時、早熟な生徒が持っていた携帯電話、そのiモードで何が起きたのかを知った。
俺は自然災害の脅威を知らない。
意思のない脅威を知らない。
いつだって怖いのは人間だった。
しかし、災害の当事者はきっと「死」を感じたのだろう。
「死」はやはり恐ろしいものなのだろうか。
2023年3月11日土曜日。
俺は線路をまたぐ歩道橋を歩いていた。
少しずつ暑くなってきている春の始めである。
俺は久しぶりに旅行に行くようだった。
計画には約半年を費やした。
集合場所は少し遠い。
歩道橋を始めてまたぎ、集合場所へと向かう。
足取りは軽くも、そして重くもなかった。
今週の仕事は何もなく、労力の結実とは言えぬ土曜日の朝である。
努力失くして報酬なしなのか。
自分に、甘くないか。
車の助手席に乗る。
車に乗ることに対して思うことがなくはないが
書き起こすのも面倒くさいので書くのを俺は止めた。
タマネギの丘についた。
コートに身を包んだ3月の初めのはずだったが
そこには半そで、半ズボンの集団がたむろしていた。
俺が悪いようだった。
本場の玉葱はうまかった。
なんやかんやあって2日間は終わった。
彼らのとの距離が近づくほどに、彼らとの距離に気づく自分がいた。
遠く、遠すぎるうちはその距離に近づかない。
そして、遠くにいた自分を感じる。
その旅の終わりに俺はどうしようもなく虚しさを感じた。
「僕みたいなクズな人間にも関わってくれる人がいるので」
後輩の後輩が言った。
お前がクズだったら、お前以下の人間はどうなるんだ?
彼は背負い込んだ何かを発散したいのか
自身の境遇を持たすように語った。
俺はそれを優しく同情的に聞いてあげたかったのだが
そんなことでさえ今の自分はできなかった。
すまないな、と思った。
何もできない自分ですまないな。
だからもうそろそろ終わりにするか?