「そんなもんだよ」と彼女は言った。
何の積み重ねもない人生を歩んできたものは、その目に、それなりの鈍さを宿すという。
中学生の頃にドドドドヤンキーの中肉中背な男は「目を見れば分かる」と俺に対して言った。
目を見て何が分かるというのだろう。
それでも目が輝いているとか、目が死んでいるだとか、人間を形容する言葉は確かに存在しているし、俺自身もそれを感じることだって、もしくは使用することだってある。
しかしだとしたら目なんて調整のしようもない部分、どうしようもないじゃないか。
「そんなもんだよ」と最後にLINEをした時から、幾日たっただろうか。
今では、もうすっかり誰かも連絡が来なくなった携帯端末をよそに、俺はパソコンに向かっていた。
生まれて初めて自分一人で契約したスマートフォンは、思い入れを持たれずに傷つけられ、その傷は液晶にまで及ぼうとしている。
現在は2020年の9月である。
俺の肉体は成長ではなく、老いに向かい始めていた。
朝起きる。
顔を洗って、髪の毛に液体を差して、化粧水を浴びせる。
ついでに口も洗って、常温の水を飲む。
朝のご飯を作って、その間に食べるときに見るコンテンツを選択する。
食べ終わったら食器を片付ける。
ヘアアイロンの電源をつける。
ヘアアイロンの温度が上がりきるまでの間にリステリンを口に含んでおく。
口に含んだままヘアアイロン作業を終えて、歯を磨く。
服を着て、髪の毛を整える。
髪の毛の量が少なくて、髪の毛は結局、整わない。
服を着替える。
忘れ物確認をして、出勤する。
朝の習慣を、毎日、毎日。
同じようなことを毎日。
脳への刺激が少ないからか。
毎日はまるで記憶に残らない。
そんなもんだよ。
慰められているような、けなされているような言葉だった。
無造作に机の上に転がった物たちと同様に、自分自身も部屋に転がっている。
マクロ的な視点で見ると、自分自身とそれらに、どれくらいの違いが、あるというんだろうか。