白みかん

白みかんは、おいしいみかん。みかんを剥くのがうまいよ。

4月3日

 

目が覚めるのホテルの一室にいた。
江坂という場所にあるそのホテルは、安い割にはまあまあの外観と
完全主導のチェックインサービスを導入しており、エレベータも多言語対応ということで
なんだか、気分がよかった。

3時45分である。

昨日はツか人てきたのになかなか眠れない事態に陥っていたけれど
結局、あまり眠れない状態でやって来た。
そして昨日もろくに食べていなかったので、俺のおなかは限界を迎えていた…気がした。

さて、本日は、本題である。
意味が分からない行為にふけたあと、俺は身支度を整え始めた。

よくよく考えるとヘアケア系のものは全部、自分の部屋に置いてきてしまったらしい。
アイロンもなければ、ヘアオイルもない。
ドライヤーとワックスだけという状態である。
出来上がったのは、なんとも微妙な出来の上方だった。
俺は、考えるのをやめた。

駅を出て、そして合流地点へとついた。
今日は福井に行くのだ。
待ち合わせ場所である千里中央の広場に着くと、子供が山のような遊具で遊んでいるのが見えた。
俺はそれを階段の上から眺めた。

千里中央の広場には思い出がいつくかあった…気がした。
例えば、7年前、一人でイベントに参加した時の思い出。
例えば、5年前、後輩の引率でイベントに参加した時の思い出。

子供を眺めていると、合流地点に、合流相手がやってきた。
その子は走ってきていた。
あまり走っていると転んでしまわないか、心配した、気がした。

もう一人の合流相手を探した。
今回も、車を運転するのは俺ではないのだ。
なんだか、人のことを利用してばかりいるようできまりが悪くなったが
事実として無理なのはしかたないため、俺はまた考えるのをやめた。

最近はよく考えるのをやめている気がする。
俺は、そうして福井までの道中、何気ないことを話して過ごした。
また、俺は久しぶりに話していたが、昨日の夜よりも、なんとなく話しやすい気がした。
自分の心が凪いだ。

生きているだけでつらいときや、未来の展望が描けないというときに
まるで酸欠にでもなったように慢性的に苦しい瞬間がある。
彼らとともにいて、俺はそういう苦しさを忘れていいような気になった。

晴れてほしいと願い続けた結果、福井は晴れていた。
その日の太陽は、4月には似つかわしくなく、願いを聞き入れた神様がありったけの元気を詰め込んで
爆発させたような強烈な陽気を感じさせた。

合流相手、その3が現れた。
なんだか、明るい恰好であった。
みな、一堂に会するのは等しく久しぶりのようでお互いの距離を(物理的な意味においての)感じさせた。
それでも俺たちは、話すことができた。

花見は人生で二回目である。
桜が広がるその眺望よりも、俺はしだれ桜の咲いているビルの風景を眺めていた。
パンをかじる。
…がそれは総菜パンであり、どっちかというとそれは俺にとって食事ではなかった。
納豆とか、とか、野菜とか…が欲しい。
欲しくてほしくて、たまらない。

だが、そんな定食屋は予定されていない。
俺たちは桜を巻き散らかして、穏やかに、少しだけにぎやかに、過ごした。

その日は、暑かった。

きっと、いろいろな話をしたことだろう。
自分相手にする遊びは大抵飽きてしまった俺としては、とても楽しかった。
俺は数年ぶりに、ブランコに乗った。

さみしさが鳴っていった。
またしても意識があの部屋に引っ張られような気がした。

間もなく俺は、俺の部屋とサヨナラする。
もう行く場所はない、帰る場所もない。
合理的な理由は、きっとどこにも存在しない。

でも…それでも俺がどこかに行こうとしているのはなぜなのだろうか?
自分自身が分からない。
きっと、分からないだろう。