白みかん

白みかんは、おいしいみかん。みかんを剥くのがうまいよ。

  機械の力が、今求められている

 

毎日毎日仕事が終わってからの数時間。
それが自分に与えられた平日の休み時間と言うか、自由な時間。
小学生のころから、さほど変わらないだろう。

小学生の6限はいつ終わったのだろうか。
覚えていない。

でも、受動的にしか動けない授業などとは違い
会社員はある程度、処理すべきタスクの中で生きている。
受動的な中からどのように立ち回れるかを試される学生よりは
よほど脳が死んでいてもできる簡単なことだと言えるだろう。

とはいえ、向き不向きはあるだろうが…。

さて、機械の力が今、求められている。
文系は非力だ。
哲学倫理学など学んでいても、世の中は変わらないし
世の中の見方なんて変わったからどうだというんだろう。
重要なのは、世の中にほうに干渉する力である。
自分への干渉の仕方なんて、気分しだいでどうにかなってしまうというものだ。

とにかく文系は、なんでも自分の力だけでなんとかしようとする。
例えば、通訳なんてどうだろう。

自分が1人の通訳者だとする。
通訳者の肉体は1つだし、通訳業務60分が渡されているとしたら
やはり60分通訳者は全力で己のスキルと時間を渡さないといけない。
同時に2つ分の通訳をするというのも、また無理だ。
通訳は基本的には現場にいないといけない。

つまりは1:1なのである。

さて、通訳者が、通訳を自動で行う仕組みを開発したとすると
その恩恵を受けるのは当然1人以上と言うことになる。
一体何人分の通訳業務を行えるというのだろうか。
もし、その仕組みを作るのに1000時間要したとしても
長い時間のことを考えるとおつりがくるくらいではないだろうか。

機械は疲れない。機械は間違えない。
ルールの中でそれることはあっても、それは論理的である。

何で超くだらないことを人の力をわざわざ使ってやろうとするのか
理解に苦しむのだ。