白みかん

白みかんは、おいしいみかん。みかんを剥くのがうまいよ。

年賀状を返そう

 

そういえばいつぞや、年賀状を送るために住所を好感していたことを思い出した
…のではなく、ずっとそれは自分の頭の中に会ったのだけれど
年末の仕事のほうに気を取られていて、購入をすっかり後回しにしていたら、25日を過ぎて、年を越していた。
もちろんこれはいいわけである。
木を取られていたとはいっても、その時間までずっと何かをしていたというわけではなく
精神的に余裕がなかったというだけのことである。

それにしても、まったく計画性がない。
1月のこの段階で出して届くのはいつになるんだろうか。
1月1日に届くようにするためには12月25日まで出せというが
それくらいのタイムラグがあるのだとしたら、郵便とは、結構不便なものである。
そりゃあもうLINEだとか、電子媒体に移り変わっていくのはしかたないことだと言えるだろう。

そこにあるのは、風情くらいのものか。

そう思いながらも朝からコンビニを巡って年賀状をゲットした。
以外にもコンビニの年賀状は売り切れており、買うために少しだけ移動距離を伸ばした。
ついでにエクレアも買った。

住所を人は3名だったが、年賀状がきていたのは1名からのみだった。
まあ別に構わないのだが、俺はその1名に対してはデザインを刷新したものを
それ以外に対してはテンプレートなものを作成して、持ち込みプリントを行った。

この手順を1年に1回しかしないので、画像は.jpg形式で作らないといけないとか
USBみたいなデバイスを持ちこまないといけないとか
いろいろなことを忘れているせいで5回くらいの出たり入ったりを繰り返している。

ある人からの年賀状にはパペットマペットが描かれていた。
恐らくこれは、今年が丑年だからだろうか。
届いたものはとてもきれいで、これが手書きなのかプリントしたものなのか
俺には判断できなかった。

年末年始。
本当に1人で過ごしている。

家族がいれば、帰る気ももう少しは起きるのかもしれない。
ただ、母親しかいないあの家に帰ってもただ疲れるだけである。

兄弟がいればもう少し変わったのだろうか。
俺に兄弟がいればどういう人になっただろうか。
同じ遺伝子を持っていれば、この気分ももう少し客観視できたのか。

半分だけ同じ遺伝子を持った子供は、将来俺と同じようになるのか
それともならないのか。

また少しばかり暗くなってしまった。
しかし、しかし、年賀状の返事を書けるなんて運がいいじゃないか。

返事を書いてみた。
どこかのファミリーからの年賀状もそこにはあった。
昔は、家に子供が○○歳になりましたなんて年賀状も来ていたな。
やっぱり、ああいうのはするものなのだろうか。
うがった視線を持ちすぎて、俺は、なんていうか
親というものになれるのか、心配でしかたないよ。