白みかん

白みかんは、おいしいみかん。みかんを剥くのがうまいよ。

少子化を憂う独身男性

「玄関に脱ぎっぱなしの子供の靴」の写真

25歳と言えば、十分体の機能は成熟しており、全くもって問題はない。
特別身体に障害はなく、問題があるとすれば、一人で生きているだけでもつらいような経済状況くらいである。

新型コロナウイルスで人々の繋がりが更に薄くなっていく。
この社会を突然憂いている自分を発見した。

うちの責任者はことあるごとに人々が溢れる街を訪問している。
なぜ、いちいち、足を運ぶのだろうか。

リモートと対面の違いは何か。
それは触れることと、触れないこと。
ビジネスにおいて触れないことはなのでメリットにもならないはずだと俺は思うのだが
なぜか、今でも彼らは対面であることを望んでいる。
そこに価値を見出すのは、既に古い価値観案丘、それともそこに人情とかいう謎の美徳があるのだろうか。

ふいにLINEアイコンに映る赤ん坊。
この前までカップルのプリクラのような訳の分からない主張をしていたものが
突然、ライフステージを上げるかのように、赤ん坊を主張する。

しかし、子供一人1000万円。
我々の世代で稼ぎうる何かを早々に背負うことは難しい…と考えるか
それとも今を生きている人は、なんとかなるさで乗り切るのか。

実際、やってやれないことはなかなかないように思う。
事実があって、それを補完する未来がある、そういう感じで進んできた結果
日本の制度みたいな訳の分からないものができている事実。

少子化だ。

いまだに愛を叫ぶ人間もいれば
傷つきつかれた人間や
そこに価値を見出さない人間もたくさんいる。

昔はベビーブームなんて時代があったというけれど
今と何が違うのだろうか。
もちろん数字でいろいろデータを示すこともできるのだろうけれど
それよりも、もっと世の中に流れる雰囲気みたいなものを…。

少子化なんて俺は憂いてもしかたないことは分かっているけれど
中年ばかりが目立つこの社会
中年を働かせないと本当に回らないのかと疑わしくなるこの社会は
構造的に間違っている気がする。

本当に必要なのか?
本当に必要なのか?

道を開くのは年配者の役目でも
その道を歩いていくのはきっと若い世代だと思う。

25歳の自分は、もうきっと若くない。
まだまだ若いなんて思っているのなら
もうご年配は引退して盆栽でもしておいてほしい。

働くことを否定しないけれど
過剰に働くことを美徳とするのはもうよすべきなのではないだろうか。

俺たちの価値観は誰によって決められているのか。
世の中の正義は誰が作っているのか。
誰かの意思でないのだとしたらもう、この世の中は、混沌の中にある。