天然パーマという人種が古来から確認されてきている。
彼らは直毛ではない。
だが、直毛と言われる人々の中でもさまざまなタイプがいることは確かだ。
なのに天然パーマはそれらとは大別されている。
それは天然パーマがあまりにも、あまりにも、憂鬱的存在であるからに違いないと俺は思った。
1995年。
阪神淡路大震災をぎりぎり被災することなく生まれた俺の毛髪は
その当時からここまでのうねりを持っていたわけではなかった。
少年は、多少のくせっけを持っていたが
そこそこの外国人っけのある顔をしていたので
ほどほどのバランスを持ちながら人生を歩んでいた。
生と死の螺旋を体現するようなうねりと、空気中に霧散していく水分。
それが明確に現れてきたのは、10歳のころである。
呪いの足音は、徐々に迫ってきていた。
「すごい頭だね」
塾で机に付している俺の頭を見て、女生徒がそう言った。
もう手遅れだった。
抱きとめようとした水分は、あっけなく空気中に逃げていき
失われた髪は無惨にもチリチリとした質感を持ち始めた。
同時にゆがんだ毛穴から生えてきた髪の毛たちは独特のうねりを持ち、世の中のすべてを憎むようにねじ曲がっていた。
その髪の毛たちは決して天を目指していきはしない。
大地から天を歪んだ視点で見上げているのである。
えんぴつが、頭に刺さった。
ものさしも、頭に刺さった。
気になって俺は、いくつかの人々の頭にえんぴつを差し込んでみたが
えんぴつたちは乾いた音を立てて、床を転がっていくだけだった。
風が吹いた秋の夕暮れどき。
いつまでそこにいるのか。
地面を見ると痩せた黒い影が自分から伸びていた。
うなづけば、うなづき、うずくまれば、うずくまる。
あたまにジャガイモをつけたようなそれは薄気味悪かった。
天然パーマの欠点とは、カールよりも、チリチリ具合にある。
水分を保っていられないことから起きるこのチリチリが
最近言及されがちな清潔感の欠如につながっているのではないだろうか。
それを攻略するためのアイテムは
ヘアオイルにこそあると、細心の俺の研究(?)で分かっている。