白みかん

白みかんは、おいしいみかん。みかんを剥くのがうまいよ。

独身男性のお弁当事情

今週のお題「お弁当」

 

もちろん要因はそれだけではないのだが、小学生のころ肥満体といわれていたこの体は
中学生になり弁当生活になったことによって一変した。
給食というものももちろん、これから成長するであろう子供たちに食べさせるものなので栄養のバランスが考えられている。
だが、そこには「おかわり」という盲点があった。
「おかわり」を何度も、何度も繰り返し続けるその男をもはや止めることはできなかった。

「これがカレーの旅や!」

カレーをすくう、カレーを食べる。
カレーをすくう、カレーを食べる。

給食の、カレー万歳。

お弁当というのは、家庭で作られて学校に持っていくもの、から始まっていた。
俺の人生においてもそれは変わらなかった。
中学生になり給食というシステムがなくなったことで切り替わらざるを得なかったのだろう。
家のどこから出てきたか分からないプラスチック製の小さな箱に、おにぎりとほうれん草が詰まっていた。
お弁当の中身は各家庭によって十人十色である。

きれいに盛り付けらた正統派タイプもいればキャラ弁を成立させているギャルタイプもいる。
そう考えると俺の家のお弁当というのは食品を詰めた、庶民派というところだった。
いつの間にか、俺の手にはパンが握られていた記憶に変わっていた。

「カイベン?」
「え?カイベン…カイベンって何?」

カイベンは、買い物弁当、つまりコンビニなどで買った食品を弁当として食することを意味している。
俺はいつからかカイベンになっていたけれど、確かに俺の人生に弁当は存在していたのだ。
その結果、俺はやせた。

食料を強制的に制限するお弁当システムは俺の体に対して十分な栄養を与えられず
サイズダウンを余儀なくされたのだった。

前文終わり。

独身男性のお弁当事情。

時代は平静を超えて、令和になっていた。
令和になったからなのか、それとも、俺が気付いていなかっただけでずっとそうなのかは分からないのだが
男性が料理をして、弁当を作るというのはわりかし、一般的なことになってきているようだった。

一人暮らしと会社勤めを同時に初めて、生活のリズムはすべて自分の思うままになった。
俺は、お弁当を作り始めた。

そして気付いた。
食料が回らないことに気づいた。

3食に対して食材をまわそうとすると、時間はあっても
食料自体が足りなくなるのだ。
なるほど、お弁当のウィークポイントはここにあるのかと俺は思った。

駅からマンションまでの間にはコンビニしかないのである。
スーパーで食材を調達しようと思うと、少しあるかないといけない。
そう思うとなんだか…、なんだか、突然、やる気がなくなってしまうのだった。

俺は何でも形から入っていた気がする。
最近思うのは10人の人を10人とも感心させる能力など俺にはないということだった。
そのうち6人でもだますくらいのスキルがあればいい。
そういう中途半端な能力を組み合わせて戦うのが俺のやり方かもしれないと、思った。
だから、この机からわいて出てきたようなひのきのお弁当箱を見て、これだ!と俺は思った。

 

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ご飯を詰めよう。
シャケを詰めよう。
唐揚げを、詰めよう。

俺は詰めてみた。いろいろ物を詰めてみた。
同期社員と共にお弁当を食べているとき、そのお弁当習慣は続いていた。
だが、一人また一人とお昼時の人数は減っていき、やがて一人になった。

人から観測されないとは、こんなにも虚しいことか。
虚無虚無プリンである。

ヒノキのお弁当おばこは、手洗いするときになんだか嫌な手触りがした。

「もっと、俺を使えよ」

 

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ヒノキのお弁当箱が言った。
俺はそれに答えなかった。

それでもたまには焼きおにぎりを入れたりする。
この退屈で退屈な業務にお弁当を入れると急激に眠たくなってしまうので
なかなかそれを実現することはできないけれど。

お弁当は愛の形の一つなのだと思う。
愛はこの世にはない。
それを形にするのは人間である。
完璧な三角形が存在しないように。

弁当箱の中身は空けるまで分からない。
もしかしたら、移動している間にぐちゃぐちゃになってしまっているかもしれない。
もしかしたら、そこには何かメッセージが込められているのかもしれない。
開けてびっくり玉手箱。

俺のお弁当の中には、いったい何が入っているのだろうか。

 

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