白みかん

白みかんは、おいしいみかん。みかんを剥くのがうまいよ。

いっそ、ころせ!

今週のお題「叫びたい!」

 

 

 

 




人生100年時代」という言葉はあんまり好きではなかった。
その言葉の本当に意味するところは俺の頭まで届いてはないのだが
言葉の響きからすると医療の発展によって人の寿命は100年くらいまで伸びるようになった。
なので100年生きれるようなキャリアと貯蓄をしましょうYO
というふうなものを考えられる。

俺は100年も生きるのか?
いっそ、ころせ!

俺はまだ25年くらいしか生きていないけれど
この世界の将来がどう見ても悪い方向に向かっているのは
間違いないように思える。

なんたって基盤がもうボロボロというかおかしいというか
そういうシステムの下運営されてきて
それをもう変えるつもりがないのだろうということは
大体察するにあまりあるのだ。

それでも小さな幸福が手にいられる日本だから
不満たらたらな若者たちも、今こうやって生きていけるのだが…
だが…。

どうだ?

俺だっていつまでもこの狭い部屋で一人で
ずっとずっとずっと一人で朝起きて働いたふりをして
夜寝て、太陽がまた昇ってくるのを見届けるのを
自分のからだが衰えて、おなかが出てきて、毛髪がなくなって
そういうマイナスな面を積み重ねながら生きていくのは、つらい。

老体になった自分が今と同じように不満を言うだけで
自分の中のマイナスを吐き出して延命できるのかと言えば
きっとそうではないはずである。

果たして人生100年時代の
どれほどの人間が、雑誌の表紙を飾れるような
やわらかいおじいちゃん、おばあちゃんになれるのだろうか。
うつ病で部屋でこもって恐ろしい状態になっているけれど
それでもまだなんとなく死なないなんてそんな状態はごめんである。

自分が誰かも分からないし
誰からも生きて、と思われていないのに
ずっとなんとなく生きながらえるというのも
それはそれでごめんである。

俺にはこの世界で100年生きるのは
決していいことのようには思えないのだ、どうしても。

人間は生物だ。
だから俺は繁殖はしたいと思うし
その繁殖した生物が
自制できるようになるまで支えてあげたいと思う。
今は時勢することだけでも精いっぱいという感じではあるが…。

だが、その責務を終えてまだ30年数年も生きるとなると
それを一体だれが望むというのだろうか。
きっと俺は望むまい。

人生100年まだまだ頑張るぞ

じゃない。

もう頑張らなくていい。
人間は世代交代をして、そして世界を前に勧めていけばよい。
ノウハウは引き継げばよいし
何ならノウハウ自体を永久性を持たせるようなシステムを開発して
不確定要素の多い人間はさっさと引退してほしい。

世の中はお金儲けのためにいろんなシステムができすぎた
もはや必要不可欠なものがどれほど存在しているのかも分からないし
必要不可欠なインフラであってもそれを取り合っている状況というのがますます分からない。

世界がバラバラであるのも分からないし
肌の色で差別が発生するのも分からない。
障害があってどうこうというのも分からないし
引きこもりでアホだからと言って格差がここまで開くのも分からない。

一体どこからどうなってこうなってしまったのだろう?
俺は100年もこんな世界を見ていかないといけないのだろうか。

先日、俺は同じ26歳の男性と会った。
彼の髪の毛は少しボリュームを失い、後退し始めていた。
俺は…
音楽を辞めた。